【卓球・田添響】「結果がすべて」誓いの手紙で始めた卓球人生<インタビュー前編>

写真:田添響/撮影:ラリーズ編集部

“イケメン”と卓球界で噂の選手がいる。Tリーグ木下マイスター東京田添響(たぞえひびき)だ。身長178cmのスラリとしたルックスに加え、もちろん実力も折り紙つき。

2017年にはドイツのブンデスリーガ2部に参戦して22勝3敗、2018年の全日本大学総合卓球選手権大会(インカレ)では、専修大学を日本一に導きMVPを獲得。そして今年1月の全日本選手権で自己最高のベスト8入りを果たした。今もっとも勢いに乗る選手の一人である。

ちなみに兄は、同じく木下マイスター東京に所属する田添健汰(たぞえけんた)。兄弟が同じチームでTリーグに参戦したことでも注目を集めた。

人気も実力も申し分ない田添だが、「卓球がまったく楽しくなかった」時期があると言う。そこから如何にして苦悩を乗り越え、ここまで来たのだろう。田添響の卓球人生に迫る。

「楽しそう」から始まった

――卓球を始めたきっかけは、お兄さんの影響が大きかったんですか?

兄といとこがきっかけです。最初に兄が卓球を始めて、その後いとこが始めました。

親が2人の練習の送り迎えしていて、自分もついて行くことが多くて。練習を見ていると、ボールを打つ音などが楽しそうで、「やりたい」と親に言いました。

当時通っていた石田卓球クラブはとても厳しいところで、卓球を始める前から「遊び半分ではなく、本当に強くなるためにやるところだよ」と親に言われていたんです。

だから本気だということを親に示すために、手紙を書いたことを今でも覚えています。

――手紙ですか!どんなことを書かれたんですか?

「真剣に卓球をやりたくて、強くなりたいから、やらせてください」といった内容でしたね。親にも認めてもらって、そこから自分の卓球人生が始まりました。

――すごいですね。そこから宣言通り力をつけていった、と。

実際に卓球を始めてみたら、本当に楽しくて。ただ「卓球を楽しみながら強くなりたい」と当時は考えていたので、厳しい練習はあまり好きではありませんでした(笑)。

練習中も、先生が見てないところで遊んだりして、よく怒られました。

だけど続けていたら、自然と結果も出てきた。結果が出るといっそう卓球が楽しくなる、という好循環が働いていたように思います。

疲労骨折に気付かぬほど、のめりこんだ高校時代

写真:田添響/撮影:ラリーズ編集部

――今では全日本選手権でベスト8、インカレでMVPなど、大活躍ですね。最も思い出に残っている試合は何でしょうか?

高校2年生時のインターハイで春夏連覇を達成したときですね。春の選抜の団体戦で優勝をしていて、なんとかして春夏連覇したいとチームのみんなが思っていました。メンバー的にも優勝を狙えるような選手ばかりだったので。

たまたま地元で開催された大会だったので、応援もすごかったんです。緊張もしていましたが、観客席含めてすごく雰囲気がよくて、楽しくもありました。結果として優勝できましたし、一番記憶に残っています。

――チーム一丸となって地元で掴んだ栄光ですね。

高校のときの練習は、正直めっちゃキツかったんですよ。中国人コーチの方が高校に来て指導して下さってたんですが、ウエイトトレーニングもガッツリさせられて。死にそうになりながら必死に練習していました(笑)。

インターハイのとき、左膝がすごく腫れていたんですよ。「あれ、おかしいな」と思っていたんですが、練習を休むわけにはいかずトレーニングもバリバリやっていました。

インターハイが終わってから病院に行ったら、「疲労骨折しています」と言われて(笑)。「やっぱりキツかったんだな」と、そのとき思いました。

練習中は、良い先輩たちにも恵まれて、全然苦にならなかったんです。いろんな試練を仲間と一緒に乗り換えて優勝できたときは、とにかく感動しましたね。

「楽しさ」見失った大学時代、支えてくれた人々

――逆に、これまでの卓球人生で辛かった時期はありますか?

大学1年生のときは、卓球がまったく楽しくなくて辛かったですね。時間が経つのをただひたすら待っていたような感じでした。練習を休むことも多くて…。

当然、試合にだって出られなかった。成績も振るわない。何も目標がなかったので、そのときは卓球自体に楽しさを感じませんでした。

――そんな時期があったんですね。

けれど、1年生の終わり頃から、徐々に卓球に対して真面目に取り組むようになり、楽しさが戻ってきたんです。

――何かきっかけがあったんですか?

大きく2つあって。1つ目は、 VICTASからサポートのお話を頂いたことです。「契約するからにはしっかり頑張らないといけない」と思い始めました。

そして2つ目は、専修大学OBでもある福島万治さんとの出会いです。青森山田高校のコーチもやっていた方で、とにかくたくさん面倒を見ていただきました。

練習も、「もっとこの練習をした方がいい」と色々アドバイスをいただいて。実際に見に来てくれて、つきっきりで指導をしていただきました。

おかげで卓球に真剣にのめり込み、試合にも出られるようになりました。成績も上がって、練習を休んだりすることもなくなりましたね。

――周囲の人との出会いが、田添選手を卓球に向かわせてくれたんですね。

あと、2年の終わりに当時ドイツにいた邱(建新)監督(現木下グループ総監督)に、「ドイツに来るか?」と誘ってもらったことも大きなきっかけでした。

実際に行ってみると、相手選手のことをまったく知らないという、すごくやりづらい状態の中で結果を出せたことが、自分の中で大きな自信につながりました。

――つらい時期を乗り越えてここまで来た田添選手ですが、卓球の好きなところを挙げるとしたらどんなところですか?

目標をクリアしたときの達成感ですね。たとえば「この人に勝ちたい」と思っていた人と試合をして勝つ、とか。
逆に、いくら練習をしてても、試合で負ければ全然意味がないと思っていて。やっぱりスポーツ選手でいる限り、結果がすべてだと思うんですよ。結果が出ないということは、やっていることが間違っているんだと。だからその分、結果が出ると楽しさを感じますね。

楽しさを原動力に強くなった田添響。丹精なルックスの奥には、楽しむことが出来ない時期さえも乗り越える精神力があった。後半では、Tリーグに参戦した2018年を振り返るとともに、プライベートについても掘り下げ、素顔の田添響に迫る。<後編へ続く>

取材・文:古山貴大

© 株式会社ラリーズ