モネはケチだった!? 画家として生きるための“知恵”とは…?

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さまざまな趣味と娯楽の奥深い世界をご紹介するTOKYO FMの番組「ピートのふしぎなガレージ」。5月11日(土)放送のテーマは「松方コレクション」。みなさんは「松方幸次郎」をご存じですか? 彼は、明治の終わり頃から戦前まで、実業家や政治家として活躍し、川崎財閥(現在の川崎重工や川崎製鉄)を育てた人物です。そして、美術品の収集家としても知られ、彼の集めた作品は「松方コレクション」と呼ばれています。今回は松方コレクションについて、TOKYO FMの番組の中で詳しい方に教えていただきました。

※写真はイメージです。

◆三菱一号館美術館 学芸員 安井裕雄さん「モネを口説き落とした松方幸次郎」

── 松方幸次郎とモネはどんな関係だったんですか?

モネの晩年の1920年代、パリ郊外のジヴェルニーに住むモネのもとを訪れたのが松方幸次郎でした。当時、松方幸次郎は財力があったので、「プランス(プリンス)・マツカタ」と呼ばれ、フランスのアートシーンで有名な人物だったんです。本当はプリンス(王子)ではなくバロン(男爵)ですが。

年齢的にはモネの方が25歳くらい年上だったのですが、2人はずいぶん馬が合ったようです。松方幸次郎が高級酒のナポレオンをお土産として渡したところ、モネが大喜びしたという記録を、同行した美術評論家の矢代幸雄先生が残しています。もちろん松方幸次郎は事前のリサーチでモネが何を好むか調べていたのですが、その甲斐あって三十数点のモネの作品を買うことができました。

── お金だけじゃ「睡蓮」は売ってくれなかったんですね

モネは若い頃に苦労したこともあって、なかなか作品を売ろうとしないケチな人でした。でも30代で自殺してしまったゴッホのことを考えれば、画家が生活していく上で、そういう計算高さは必要だったんです。80歳を過ぎても自分の描きたいものを描き続けようと思ったら、複数の画商に競わせて自分の作品の価格をつり上げる。そんなことも必要だったのだろうと思います。

1926年にモネが亡くなった翌年、パリのオランジュリー美術館に、幅数メートルから最長20メートル以上の巨大な「睡蓮」がいくつも収められました。それらはモネが絶対に売ろうとしなかった作品だったんです。でも松方幸次郎だけはその中の1点を譲り受けています。それくらい2人は特別な関係でした。

── モネはなぜそんなにも睡蓮の絵を描いたのですか?

もともとモネにとって睡蓮は特別な存在ではなく、他にも菊など何種類かの花を庭で育てており、その絵を描いていました。しかし、1899年頃からモネの関心は急速に睡蓮へと向けられていったんです。池に太鼓橋を架け、池に浮かぶ睡蓮の葉と花、池の周囲に生い茂る草や柳やポプラの木々……それらがひとつのまとまりになって、モネにとって重要な画題を与えるようになりました。

その後、松方幸次郎が関東大震災の影響もあって破産したとき、フランスでチャリティの展覧会が開かれて、松方幸次郎が購入した《睡蓮》も公開されました。その時、モネはチャリティの主催者に猛然と抗議の手紙を書いています。というのも、モネは200点以上の《睡蓮》をオランジュリー美術館でいきなり公開しようと思っていたからです。それまでよっぽど《睡蓮》を人に見せたくなかったようですね。

TOKYO FMの「ピートのふしぎなガレージ」は、《サーフィン》《俳句》《ラジコン》《釣り》《バーベキュー》などなど、さまざまな趣味と娯楽の奥深い世界をご紹介している番組。案内役は、街のはずれの洋館に住む宇宙人(!)の博士。彼のガレージをたまたま訪れた今どきの若者・シンイチと、その飼い猫のピートを時空を超える「便利カー」に乗せて、専門家による最新情報や、歴史に残るシーンを紹介します。

あなたの知的好奇心をくすぐる「ピートのふしぎなガレージ」。5月18日(土)放送のテーマは「梅」。お聴き逃しなく!


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<番組概要>
番組名:ピートのふしぎなガレージ
放送エリア:TOKYO FMをはじめとする、JFN全国37局ネット
放送日時:TOKYO FMは毎週土曜17:00~17:50(JFN各局の放送時間は番組Webサイトでご確認ください)
番組Webサイト:http://www.tfm.co.jp/garage