「長崎県誕生」 今年150周年 記念行事計画なし 県職員「節目、初めて知った」

 今年は「長崎県」の名称が誕生してから、ちょうど150年になる。明治政府が1869年、長崎に設置していた「長崎府」を長崎県と改称したからだ。だが150周年の節目とはあまり知られておらず、県による記念事業の計画もない。歴史愛好家からは「県民に歴史を知ってもらう良い機会なのだが」と残念がる声も上がる。
 長崎県成立の経緯は幕末にさかのぼる。江戸幕府派と討幕派が戦った戊辰(ぼしん)戦争の最中の68年、長崎奉行河津祐邦が江戸へ脱出。明治新政府は、外国と交流する重要な窓口だった幕府領長崎を統治するため長崎裁判所を設置し、同年に長崎府と改称した。
 長崎府が長崎県と改められた69年当時、県内のほとんどの地域はまだ「藩」だった。平戸、大村、島原、福江の各藩は71年の廃藩置県でいったん県とされた後、長崎県と合併した。当初伊万里県の一部だった対馬は72年に長崎県に編入された。佐賀県全域が長崎県に含まれた時代もあったが、83年に佐賀県が分離して現在の長崎県と同じ形になった。
 県政施行の節目に合わせて記念事業を展開した県もある。昨年、県政150周年を迎えた兵庫県は数年前から準備し、臨時の担当課を設置。記念式典開催やDVD制作のほか、県内のビューポイント150カ所の選出、花火大会の花火の量を例年の1.5倍にするなど、年間を通じて記念事業に取り組む熱の入れようだった。県内では今年、長崎市が市制施行130年を記念して「市の鳥」を制定し、話題を集めた。
 一方、県は本年度の当初予算に150周年記念事業の経費を計上しなかった。県政策企画課は「予算措置がないので大々的な事業を実施するのは困難」とする。県広報課などによると「長崎県誕生100周年」など過去に記念行事を実施した形跡はないという。
 県職員に話を聞くと「150周年という事実を初めて知った」と驚く人が大半。「長崎府を置いた年や佐賀県が分離した年を、長崎県が始まった年と捉えることもできるのではないか」と「150周年」に対する疑問の声もあった。
 長崎近代化遺産研究会会長の宮川雅一さん(84)は「1869年は長崎県が形成されるきっかけになった年といえる。県民に歴史を知ってもらう行事をしてほしいという思いはある」と話している。

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