ルワンダ大虐殺で娘失った母「犯人を許します」 和解進み復興、傷癒えない遺族も

右手を切断した実行犯のエマニュエルさん(左)と笑みを浮かべて話すアリスさん=4月、ルワンダ・ニャマタ村(共同)

 ルワンダ大虐殺が始まってから、4月で25年がたった。わずか100日ほどで約80万人が犠牲になったが、被害者と加害者の和解が進み復興の原動力となっている。だが、陰惨な過去に心の傷が癒えない遺族や、存在を忘れられ苦境にあえぐ被差別民族もいる。

 ▽憎しみの奴隷

 「赤ん坊だった娘をナタで殺し、わたしの右手を切断した男たちを許しました」。農家の女性アリス・ムカルリンダさん(50)はそう言うと、横にいる犯人を見つめ笑みをたたえた。一緒に取材に応じた2人は、まるで友人のように雑談に興じている。「憎しみの奴隷になりたくなかったのです」と語るアリスさん。だが、この心境に至るまでに葛藤があった。

 1994年4月、バナナ畑が広がる中部ニャマタ村。手にナタを握りしめた多数派フツ人の男ら数百人がやって来た。「ツチ人を殺せ!」。男らはラジカセから大音量の音楽を流し、口笛を吹き雄たけびを上げていた。

 アリスさんは生後9カ月の長女フランソワちゃんを連れ、村の教会へ逃げた。「神様が守ってくれる」と信じていた。ほかの何千人もの少数派ツチ人も同じ思いでやって来たが、大半がなぶり殺された。パニックになった人たちの泣き叫ぶ声が響く中、アリスさんとフランソワちゃんはかろうじて脱出し、近くの沼地に身を隠した。

 2週間後、男らがフランソワちゃんを見つけ殺害。アリスさんは右手を切断され、顔面を深く刺された。大量出血し、恐怖心で犯人の顔は記憶から消えた。

 ▽許す、でも忘れない

 2004年、幼なじみのエマニュエル・ムダイサバさん(48)がアリスさんの元へ謝罪に訪れた。「あなたの腕を切断したのはわたしです。申し訳ありません」。知り合いが犯人と分かり、ショックで気絶して病院に運ばれた。1週間後、謝罪を受け入れた。

 「自分を取り戻すには、許すことが必要だと気付かされたのです」とアリスさんは振り返る。それまで10年近く毎日泣き、娘を守れなかった自分を責め続けていた。キリスト教徒だったアリスさんは聖書を読みふけり、その言葉に救いを求めた。「許すと決めた瞬間、心が穏やかになりました。でも、許すことと忘れることは違います」

 ▽洗脳

 アリスさんのインタビューに同席したエマニュエルさんは「本当はツチ人を憎んでいなかった」と強調する。「ツチ人はゴキブリだ」といったヘイトスピーチが虐殺前に拡散し、洗脳されたという。殺人にためらいを感じなくなり、36人の命を奪った。

 だが毎晩夢でうなされ、すべての遺族に許しを求めた。アリスさんとエマニュエルさんは04年以降、互いの家を行き来する仲になった。

多くの住民が殺害された教会の跡地で、犠牲者の名前が刻まれた石碑を見つめる家族連れ=4月、ルワンダ・ニャマタ村(共同)

 ▽心の準備できず

 虐殺後に就任したカガメ大統領は国民の和解を促した。治安が回復し、経済は成長。首都キガリ中心部にはビルが立ち並び、復興は「アフリカの奇跡」と称されるまでになった。

 取材に同行した地元記者ジャンピエール・サガフツさん(51)は、全国の遺族や被害者の8~9割が謝罪を受け入れたと推定する。「絶望から立ち上がり前へ進むには、ほかに方法がなかった」と複雑な胸の内を代弁した。

 ジャンピエールさんも虐殺の被害者だ。医者だった父や母、きょうだい計9人を惨殺され、自身は貯水槽に約2カ月半身を隠して生き延びた。犯人は謝りに来ていない。「彼らは今、平穏に暮らしているだろう。許すための心の準備は、実はまだできていない」。慎重に言葉を選びながら、打ち明けた。

 ▽忘却の民族

 大虐殺は「多数派フツ人が少数派ツチ人を標的にした」と語られることが多い。長年差別されてきた少数民族トゥワ人が、ツチ人より高い割合で犠牲になった史実はほとんど知られていない。

 トゥワ人は全人口の1%ほどを占め、約3分の1に当たる1万人以上が殺害された。政府は虐殺後、和解を促すため「ルワンダ人は一つ」と唱え、公的に民族の違いが存在しなくなった。自民族の権利回復を主張する道を閉ざされ、困窮した暮らしを強いられている。

 キガリ郊外の山の中腹にあるカニニャ村。「虐殺で村が破壊され、昔より貧しくなった」。15人ほどの住民が口々に訴えた。住民の大半はトゥワ人で、陶芸や農業に従事している。各世帯の平均収入は週約3千ルワンダフラン(約370円)といい、経済成長を続ける同国でかなりの低水準だ。

トゥワの人たちが多く住むルワンダ・カニニャ村。住民は日曜日にもかかわらず働き、木の枝を運んでいた=4月(共同)

 住民たちによると、20世紀半ばまで森で狩猟生活を送っていた。村に移住後、フツ人やツチ人が一緒に食事するのを避けるなど差別を受けた。虐殺時、フツ人の民兵組織がトゥワ人の狩猟能力を買い徴兵しようとしたが拒否したため、殺りくの対象となった。

 現在、国民が民族名を口にして政治活動をするのは禁じられている。ある住民は「トゥワ人特有の苦しみを訴えられない。25年がたった今も、隅に追いやられたままだ」と嘆いた。(キガリ共同=中檜理)

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