コンパニのシティデビュー戦、スタメン覚えてる?10名のその後と今を追う

ついに先日マンチェスター・シティからの退団を宣言することになったベルギー代表DFヴァンサン・コンパニ。

しかも、来季はなんと古巣アンデルレヒトで選手兼監督を務めるというのだから驚きだ。しかも33歳という若さである。

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彼がどのアンデルレヒトからマンチェスター・シティにやってきたのが2008年8月。デビューしたのはその月に行われたウェストハムとの試合で、シティは3-0と快勝している。コンパニはスタメン起用され90分プレーした。

その際にプレーしたコンパニ以外のスターティングメンバー10名はどんなメンツだったのか?シティファンなら覚えているはず…。

GK:ジョー・ハート

守護神を務めていたのは2006年にシュルーズベリー・タウンからシティに加入したハート。ローンでトランメア、ブラックプールでの修行を経験した後、2007年夏に復帰した。

この2008年には若くしてレギュラーを獲得し、初めてイングランド代表に選ばれたが、全体的にはあまり安定したプレーが出来たとはいえないものだった。

ジョゼップ・グアルディオラ監督の就任によってポジションを完全に失ってしまったことからトリノ、ウェストハムへのローンを経て退団。昨年夏からバーンリーでプレーしている。

DF:ヴェドラン・チョルルカ

クロアチア代表で長くプレーしていた長身DF。2007年にディナモ・ザグレブからシティに加入し、これが2年目だった。移籍金は800万ポンド(およそ11.64億円)だったと伝えられており、初挑戦のシーズンからレギュラーを獲得している。

ただこのシーズンはマンチェスター・シティで3試合プレーしたのみで、移籍期間最終日に850万ポンド(およそ12.37億円)でトッテナム・ホットスパーへと移籍している。

現在は33歳となっており、昨年クロアチア代表を引退。所属するロコモティフ・モスクワではキャプテンを務めており、今季は怪我もありつつ20試合に出場している。

DF:マイカー・リチャーズ

コンパニがマンチェスター・シティでデビューを飾った時、20歳だったマイカー・リチャーズ。ジョー・ハートのようにクラブの将来を担う選手であると大きな期待を受けていた。

シティが初めてプレミアリーグを優勝した2011-12シーズンにはコンパニとともにキープレーヤーとなり、年間最優秀選手の候補にもなったのだが、そのキャリアは急速に停滞していく。

2015年にはシティからフリーで放出され、アストン・ヴィラへと移籍。しかし度重なる怪我もあってほとんどプレーできておらず、2年間公式戦から離れている。

DF:タル・ベン・ハイム

イスラエル代表のセンターバック。2008年夏にチェルシーから500万ポンド(およそ7.28億円)で加入した。ロンドンではジョン・テリーが着けていたために得られなかった26番を受け取ることに成功し、マーク・ヒューズ監督の下で起用された。

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しかし結局前半戦で9試合のみのプレーに終わり、期待はずれに。半年後にはサンダーランドへとローンで放出され、そのままポーツマスへと完全移籍していった。

現在は37歳となっているがイスラエルリーグのベイタル・エルサレムでまだ選手生活を続けており、レギュラーとしてプレーしているぞ。

DF:マイケル・ボール

エヴァートンに所属していた2001年にはイングランド代表で1試合だけ招集された経験を持っている左サイドバック。当時は22歳という若さで大いに期待された。

しかしエヴァートンの財政難で退団を余儀なくされ、移籍したレンジャーズやPSVでは怪我に悩まされ、2017年1月にシティへと流れ着いた。1週間のトライアルで半年契約を勝ち取り、この試合ではリチャーズの怪我でキャプテンマークも巻くことに。

ところが2009年に再び膝を怪我。2011-12シーズンにレスターでプレーしたのを最後に現役を離れている。現在はリヴァプールに在住、クラフテッド・ソサエティというシューズブランドの役員を務めつつコラムニスト、スカウトとして働いている。

MF:スティーヴン・アイルランド

2008-09シーズンにマンチェスター・シティの年間最優秀選手賞を獲得したアイルランド。コンパニやロビーニョ、エラーノらとともに活躍を見せ、当時23歳のMFには明るい未来が待っているように見えていた。

しかしマーク・ヒューズ監督が解任されてロベルト・マンチーニがやってきてからは苦戦。2010年にはミルナーと引き換えにアストン・ヴィラへと放出され、それから継続的に怪我に悩まされるように…。

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昨年は10月に2部のボルトン・ワンダラーズに加入したものの、1試合も出ないままで12月にチームを去っている。

MF:マイケル・ジョンソン

1988年生まれでマンチェスター・シティの下部組織出身。マイケル・ジョンソンはこの時まさに「金の卵」の一人だった。イングランドの年代別代表でプレーし、2007-08シーズンには19歳でレギュラーを掴んだ。

ところが断続的な怪我でこのシーズンもほとんど棒に振り、何度も何度も離脱を繰り返すことに。マンチーニ監督も「これほどの才能を持つ選手がこのようになっていることを悲しく思う」と発言するなど苦しみ、2012年に若くして引退した。

その後アルコール依存症やそれによる交通事故など多くのトラブルを起こしたが、メンタルクリニックへの入院を経て克服。2015年に地元で不動産会社を設立している。

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MF:マルティン・ペトロフ

2007年にアトレティコ・マドリーからシティへ加入し、3シーズンプレーしたペトロフ。推進力と強烈な左足を持つウイングとして活躍。エリクソン、ヒューズ、マンチーニと3人の監督に使われた。

2010年にフリーで退団してからはボルトン・ワンダラーズに移籍し、その後エスパニョール、CSKAモスクワと渡り歩いて現役を引退した。

2017年にはなんと銀行口座から2400万円を盗まれるという事件が発覚。行員による犯行だと考えられているが…。今年「シティのスカウトになる」と伝えられたが、今のところは不明である。

MF:エラーノ

ブラジルの名選手を多く生み出してきたシャフタール・ドネツクから2007年にシティへ加入。移籍金800万ポンド(およそ11.64億円)の司令塔は11番を着けてプレーし、このウェストハム戦では2ゴールを決めた。

開幕後にロビーニョが加入したこともあって立場が低下し、このシーズン終了後にトルコのガラタサライへと移籍している。その後はブラジルに帰国し、サントス、グレミオ、フラメンゴでプレーした。

2014年にはインディアン・スーパーリーグのチェンナイインFCと契約し、アジアでも活躍を見せた。2016年にサントスで現役引退し、次年度にはレヴィー・クルピの下でアシスタントコーチを務めた。クルピ解任後に暫定監督も。

FW:ダニエル・スターリッジ

この試合で先制ゴールを決め、3-0の勝利に貢献したのがスターリッジ。マンチェスター・シティの下部組織で育成されたエリートストライカーは、スタメンに抜擢されてその才能を見せつけた。

このシーズン16試合に出場して4ゴールを決めた19歳の彼は、夏にチェルシーへと移籍。そこでもなかなか力を発揮できなかったが、2010-11シーズンにボルトンで半年修行したことがきっかけとなって成長を見せている。

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2013年1月からはリヴァプールでプレー。怪我もあってなかなか継続的にプレーできない状態が続いているものの、時々重要なゴールを決めてみせる。

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