『嵐電』 路面電車が映るだけで心洗われる。傑作!

(C) Migrant Birds/Omuro/Kyoto University of Art and Design

 とにかく嵐電が素晴らしい。正確には、被写体としての路面電車の魅力を存分に画面に刻み付ける、鈴木卓爾の手腕が素晴らしいのだ。「嵐電」とは、京都市を西に結ぶ京福電鉄嵐山線の愛称で、通常は1両編成のワンマン運行。映画創成期には沿線に多くの撮影所が建てられ、今も東映と松竹の京都撮影所が残る。そんな環境を、『ジョギング渡り鳥』で自主映画の撮影現場を扱った鈴木監督が放って置くはずがない。

 嵐電にまつわる不思議な話を取材に来たノンフィクション作家、太秦撮影所で撮影中の俳優、その京都弁を指導することになった近くのカフェの店員、修学旅行で京都を訪れた高校生たちが織りなす群像劇なのだが、特に俳優と店員の会話=恋模様は完全に“演技論”になっていて、その即興と計算のせめぎ合いをこの映画自体が体現しているかのよう。映画が観る者の心身に沁み込んでくるような至福の感覚が味わえるのだ。

 さらに、『ゲゲゲの女房』以降のほとんどの監督作がそうであるように、本作でも現実と幻想(異界)の境界線がなくなる瞬間が何度も描かれる。ときにはその線を1カットで飛び越えるといった映画的な野心も健在で、気づけば、盟友・矢口史靖を差し置いて映画史の最前線に重要な位置を占めている感すらある。とはいえ本作の主人公は、やっぱり嵐電。映るだけで「あぁ映画だ」と心が洗われる。いつまでも、いつまでも酔いしれていたい傑作だ。★★★★★(外山真也)

監督:鈴木卓爾

出演:井浦新、大西礼芳

5月24日(金)から全国順次公開

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