サッカー界で今季を最後に引退するスター選手、10名

日本プロ野球、そしてメジャーリーグで長く活躍してきた上原浩治選手が20日、21年間にも及ぶ現役生活に幕を閉じることを発表した。

もちろんサッカー界でも多くのスター選手が今年ピッチを去ることを発表している。第二の人生に向けて飛び立つ10名の名プレーヤーを紹介しよう。

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ロビン・ファン・ペルシー

最後は自身をサッカー選手としでデビューさせてくれたフェイエノールトに戻り、35歳でキャリアを終えることを選択したロビン・ファン・ペルシー。

小野伸二が所属していたころに若くして起用されたが、当時は「ワガママな左利きのウインガー」として知られた。2004年にアーセナルへステップアップしてからもしばらくは怪我に苦しめられた。だがアーセン・ヴェンゲルの指導の下でストライカーとして再ブレイクを果たし、2011-12シーズンには30ゴールの大台を達成。得点王にも輝いた。

その後移籍したマンチェスター・ユナイテッドでもエースとして活躍し。2015年の退団後はフェネルバフチェを経て古巣フェイエノールトへと復帰した。引退試合を提案されるも、「自分にはそぐわない」と拒否している。その理由とは?

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ペトル・チェフ

チェコ最優秀選手賞を9回獲得、一時期は間違いなく世界最高のゴールキーパーであった。ペトル・チェフはチェルシーで9年間プレーし、プレミアリーグの歴代最高記録となる202回のクリーンシート(無失点)を達成している。

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スパルタ・プラハから2002年にレンヌへ移籍し、フランスリーグで活躍。ロマン・アブラモヴィッチ氏がオーナーとなったチェルシーの「大量補強」の一人としてやってきたが、その中でも最も大きな成功を収めた選手になった。

若きティボー・クルトワにポジションを奪われた後、2015年にはアーセナルへ移籍。30代半ばになっても守護神として力を見せたが、今季は怪我をきっかけにベルント・レーノにポジションを奪われ、引退を決断している。

アンドレア・バルザーリ

注目を浴びるにはあまりに地味な存在であったが、彼ほど賞賛に値する人物もそうはいない。ジョルジョ・キエッリーニやレオナルド・ボヌッチらの華がある選手たちに囲まれていたが、彼はユヴェントスにとって重要な存在であった。

彼はまたイタリア人としては珍しくドイツで活躍した選手でもあり、ヴォルフスブルクでは盟友ザッカルドとともにプレー。フェリックス・マガト監督の下でブンデスリーガ優勝も果たしている。

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彼がユヴェントスにやってきたとき支払われた移籍金はわずか60万ユーロ(およそ7400万円)。アニェッリ会長が「これまでに行った中でも最も素晴らしい契約だった」と話すのも不思議ではない。

ヨッシ・ベナユン

イスラエル史上最高の選手と讃えられるベナユンが最後にプレーしたのは、国内リーグのベイタル・エルサレム。今月初めに現役選手としてのラストゲームを戦い、今後はスポーツディレクターとしてクラブを取り仕切っていく。

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映像にはリヴァプールやチェルシー、アーセナルなどでプレーした際のゴールとともに、ベナユン自らが語る感謝の言葉が綴られている。

セレモニーの際には5人の子供がウェストハム、リヴァプール、チェルシー、アーセナル、QPRのユニを着用し、さらに妻がラシン・サンタンデールのキットを身につけるという粋な演出も。ベナユンが抱く気持ちの現われだった。

チャビ・エルナンデス

バルセロナのピッチ上で全権を担う司令塔として多くのタイトルを導き、キャリアの最後をカタールのサッカーに捧げることを決めたチャビ・エルナンデス。

アル・サッドでのプレーは短期間かと思われたが、温暖な気候や休息が多いスケジュールに助けられ、4シーズンもの間選手として戦い続けることに。そして39歳になった今年、ついに指導者の道へと入ると決断した。

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バルセロナは彼の引退に際してなんと40分ものプレーをまとめた映像を掲載。これほどまでに「切ることが出来ない」瞬間があったという証明であろう。

フアン

ブラジルの名DFフアン。セレソンでは9年間プレーし82試合に出場、ワールドカップ2大会でメンバー入りした。

2001年から所属したレヴァークーゼンではミヒャエル・バラックら多くの名選手とともに「リーグ、カップ、CL全てで準優勝」という伝説的なシーズンを経験している。

その後はイタリア・セリエAのローマでも5シーズン活躍し、2012年に帰国。インテルナシオナウを経て古巣であるフラメンゴに加入し、40歳になった今季を最後に現役を離れることを発表した。

セルジオ・ペリッシェル

プロビンチャの名ストライカーの一人として知られるペリッシェル。キエーヴォ・ヴェローナでは2000年から所属し続け、1年間SPALに貸し出されたシーズンを除いて18年間プレーしてきた。

その出場数はリーグ495試合、公式戦では516試合と半端ではないものだ。40歳になった今季ついに引退を決断し、彼が着用した31は永久欠番として扱われることになっている。

現在キエーヴォ・ヴェローナの会長を務めているカンペデッリ氏は「ペリッシェルはいつかここで会長になるはずだよ」と、後継者として育てていく意思を示している。

ジョン・オシェイ

アレックス・ファーガソン監督時代のマンチェスター・ユナイテッドで「守備的なポジションならどこでもこなせる」非常に便利なディフェンダーとして重用されたオシェイ。下部組織からの生え抜きでもありファンから愛された選手だった。

2011年夏には公式戦393試合に出場したユナイテッドを離れ、サンダーランドへと移籍。そこでも7シーズンに渡ってレギュラーとして起用され、通算256試合に出場した。

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今季は2部のレディングへと移籍したがそれほど出場機会がない状況となっており、38歳になった今季現役を離れることを発表している。

ティム・ケイヒル

世界でも屈指の「小型ヘディンガー」として異彩を放ったケイヒル。170cm台の身長ながらもタイミング抜群のジャンプと強靭な背筋を生かした空中戦を武器とし、ボランチから徐々にポジションを前に上げてきた。特に日本代表相手に強く、「日本キラー」としても有名だった。

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ミルウォール、エヴァートン、ニューヨーク・レッドブルズ、杭州緑城、メルボルン・シティ、そしてジャムシェードプルFCと様々な国を渡り歩いてきた。そして今季40歳でピッチを離れ、指導者の道に進むことを明らかにしている。

ちなみに彼は現役時代から様々なビジネスを行っており、2014年時点での資産が2800万ドル(およそ30.8億円)に達していたそう。現在も旅行会社の大使を務めたり、コメンテーターをしたりと忙しい毎日を過ごしているようだ。

アブ・ディアビ

『NEXTパトリック・ヴィエラ』だとアーセン・ヴェンゲル監督から高く評価され、才能はまさにピカイチだったディアビ。しかし彼のキャリアのほとんどは、敵チームではなく怪我との戦いになってしまった。

オセールで若くしてデビューを果たした後、2006年にアーセナルへ。その半年後に行われたサンダーランド戦での悪質タックルで足首を骨折してからというもの、身体のバランスを崩してしまったのか、あまりにも多くのリハビリを余儀なくされた。

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2015年には再起をかけてマルセイユへと移籍したものの、結局わずか5試合でしかプレーすることが出来ず。32歳という若さで現役を離れることになったが、彼が短期間で見せた輝きは誰も忘れないだろう。

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