19世紀ニューヨークの地域開発の影に必ずいる「不動産王」 パークスロープ②

エドウィン・C・リッチフィールド(1815〜85年)。鉄道事業で得た富でパークスロープの宅地を開発

19世紀ニューヨークの地域開発の影には必ず「不動産王」がいる。前のビジネスで成した巨万の財を投じて街を作るのがお決まりのパターンだ。イーストリバーのフェリーで当てたピアポントはそのお金でブルックリンハイツを、造船で成功したブリスはグリーンポイントを、ピアノ製造で世界一となったスタインウェイはアストリアを掌中に収めた。パークスロープ開発の立役者といえば、エドウィン・リッチフィールドだ。

リッチフィールドが創業したコンクリート建材会社の本社ビル現在は空き家。ホールフーズが隣接する

パークスロープの父

 1815年にニューヨーク州北部で連邦下院議員の息子として生まれたリッチフィールドは、オルバニーで地方検事を務めた後、49年にニューヨークに「上京」。当時の花形だった鉄道ビジネスに参入し、瞬く間にミシガンサウス鉄道の会長にのし上がる。そこで蓄えた財源で52年に現在のプロスペクトパークからゴワナス運河に及ぶ農地約1マイル四方を取得。宅地売買に乗り出す。

 ここまでならよくある話だが、商才に長けたリッチフィールドはゴワナス運河の地の利に目をつけ、現4ストリートの西端に荷揚げ港を建設。72年にここを拠点にセメントを中心とする建築資材の販売企業を設立した。「ニューヨーク&ロングアイランド・コイグネット石材会社」という長い社名の同社は、もっぱらパークスロープの住宅建築に資材を提供して大繁盛。このエリアはブラウンストーンと呼ばれる低層住宅の街並みが美しいことで有名だが、その外壁はほとんどが同社のコンクリートで補強されている。利権と建材販売でダブル収入のリッチフィールドは、エリア内のガス、水道、市電などのインフラやサービスの提供も手掛け、ブルックリンの長者番付ナンバー1に。

 82年には「ブルックリン向上社」と社名変更。1957年まで存続するが、その本社社屋(1872年竣工)は、今でも3アベニューと3ストリートの角に立っている。当地で最古のコンクリート建築の一つだ。

リッチフィールド・ヴィラ(1857年竣工)アメリカ建築史に残る重要な文化財。現在は、公園の管理事務所

成功者の証ヴィラ

 3ストリートは、リッチフィールドの地域開発にとって「動脈」的役割を果たしており、大量の建築資材がここを通過してエリアに運ばれた。この通りを東に進むとプロスペクトパーク内の小高い丘の上の豪奢な洋館に目を奪われる。通称「リッチフィールド・ヴィラ」。建設は1854〜57年というから、彼がこの辺の土地を買い占めた直後に建てられたもの。設計は当代随一の建築家アレクサンダー・J・デイヴィス。塔やドームやテラスを満載してイタリアの荘園邸宅を模したスタイルは、全米一ぜいたくな私邸とうたわれた。しかし一家が居住したのは約10年。意外に短い。その理由は「公園」にある。詳しくは次回に。(中村英雄)

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