「結局プロにはなれなかったけど、スポーツをやっていて良かったな、という思いが心からあるからこそ、それをもっと多くの子供達に伝えていきたいと思っています。また、スポーツは子供だけのものではありません。このマチで暮らす人々にとって、スポーツと生きる日常(地域文化)があることが、私たちの生活をより一層彩り豊かにしてくれると信じています。」
(NPO法人 スポーツカントリーアンビスタ 代表理事 石尾潤)
2016年4月に活動を開始し、東京都荒川区に活動拠点を置くNPO法人スポーツカントリーアンビスタ。総合型地域スポーツクラブとしての基盤事業である文武両道支援型の男女サッカークラブに加えて、現在は各種ダンス教室やbiima sports(ビーマ・スポーツ)の教室展開など、多種目多世代でのスポーツ活動を支援しています。
ここでスポーツを愛する人々に最幸の環境を提供したいという思いを持ち、代表理事を務めるのが石尾潤さんです。
幼少期からサッカーに明け暮れ、高校時代は私立國學院大學久我山高等学校で全国高校サッカー選手権でベスト8入り。サッカー強豪校に所属しながらも文武両道を貫いて現役で早稲田大学教育学部に一般受験合格し、同時に男子中学生のクラブチームで指導者として活動をしていました。
大学卒業を機に一度は現場を離れたものの、日本の女子サッカーの現状を目の当たりにし、再びスポーツの現場へ。
“自分自身がスポーツを通じて身に付けてきた力を、笑顔がいっぱいで幸せな社会生活を送るために大切な要素を、一人でも多くの子供達に届けたい。”
このような想いを持ってスポーツ業界の最前線で活躍する石尾さんに、NPO法人スポーツカントリーアンビスタを、わずか3年足らずでNIKEジャパンと協働する日本で唯一の総合型地域スポーツクラブに発展させるまでの道のりや今後のビジョン、さらに今後のスポーツ界の展望について語っていただきました。
サッカーを剥がして裸になった自分に価値はあるのか
私は、今でこそスポーツ界にどっぷり浸かってはいるものの、いきなりスポーツ界に飛び込んだ訳ではありません。むしろ、一度スポーツの現場を離れて一般企業に就職しています。
大学入学後、サッカーのクラブチームで指導者として活動し始めたのですが、サッカーの指導者として生きていくことの厳しさを知ったんです。そして、大学3年時から他の大学生と同じように就職活動を始めました。その中で、ある壁にぶつかりました。
自分という人間が、サッカーというスポーツありきでしか評価をしてもらったことがないという恐怖感です。選手時代はサッカーがうまくなっているからそこに居場所を与えられ、指導者をしていても、サッカーをうまくすることができるから信頼される、という風に常にサッカーを通じて自分の価値が決められてきたことに恐怖心を抱きました。
それまでの人生で、すべてサッカーというスポーツに「守られて生きていた」ということを、そこで初めて自分で感じましたね。
そのため、サッカーを剥がした状態での石尾潤という人間が、どれだけ社会で価値がある人間として認めてもらえるのか、どれだけバリューを発揮できる人材なのか、まだ自分が足を踏み入れたことがないフィールドで挑戦したいという想いが膨らんできたのです。
それでも私にとって「教育×ビジネス」は外せないキーワードだったので、就職活動を経て学校法人三幸学園という総合学校法人に就職しました。その配属が東京都足立区にある私立東京未来大学という場所で、モチベーション行動科学部のキャンパスアドバイザーという職務(=入試広報・教務・就職を兼任)が私のファーストキャリアになります。
サッカーを愛する少女たちに最幸の環境を
もともと、アンビスタの母体になっているFC HERMANA(以下エルマナ)という女子サッカーチームの代表とは面識があったのですが、社会人3年目に差し掛かるタイミングでなんとなくFacebookの居住ステータスを変えたところ連絡が来たんです。
「近くで女子サッカークラブをやっているので、見にきて欲しい。」
それが私の女子サッカーとの初めての出会いでした。
そこから、仕事が休みの日などに女子サッカーと関わっていく中で、男子サッカーとの環境の”当たり前の違い”に驚愕したんです。
私自身が男子としてサッカーをする分には環境の面で困ったことは一度たりともなく、自分の周りの大人や社会が与えてくれるものに対して何の不足不満もありませんでした。
サッカーがしたいなと思って放課後に校庭でボールを持っていれば友達は集まってきましたし、本格的に習いたいと思えば自転車の移動圏内にサッカーチームもいくつかありました。指導者がいて、先輩後輩がいて、グラウンドがあって、大会があって。
そんなこと、当たり前すぎて、疑ったことも感謝したことさえもなかった。でも、自分自身が過ごしてきたこの環境が、性別という枠組みを超えた瞬間に、当たり前でなくなることに気づいたんです。
同じスポーツを愛しているのに、性別が違うだけで、こんなにも大人社会から与えてもらえるものが根本的に違うのはどうしてなのだろう、と。
その時に初めて、自分にとっての当たり前が当たり前ではない人がこの世の中にいることを、当事者意識を持って捉えることができました。
正直なところ、いろんなメディアを通じて知る社会課題に対して主体的にアクションを起こせたことはありませんでしたが、女子サッカーに対しては「この現実を知ってしまった上で、見て見ぬフリをしてしまうような大人になりたくない」、という衝動に駆られたんです。
そうしてエルマナの代表を説得し、本気で女子サッカーの環境改善に挑戦することになったんです。
とはいえ当時在籍者が十数人しかおらず、かつ超マイナースポーツの女子サッカークラブを母体にNPO法人を立ち上げたところで、地域へのインパクトはまったくありませんし、成し遂げたい想いを形にすることが難しいことは明らかでした。
そこで、エルマナの監督が知り合いだった少年サッカークラブの監督を紹介してもらい、「サッカーだけでなく、多種目多世代の総合型地域スポーツクラブを創り上げて、マチを明るく元気にしていきたい」というビジョンを繰り返し伝え続けた結果、男女サッカークラブを母体としたNPOとして、2016年4月にスポーツカントリーアンビスタがスタートしました。
“月謝ビジネス”の難しさと働き方改革への挑戦
私は、スポーツカントリーアンビスタを経営する以外に、複数の仕事を“パラレル”に持っています。ライフイズテック株式会社の採用担当、株式会社JTBの公認ファシリテーターを始め、全部で5つの名刺・8つの肩書を持っています。
パラレルワークをする一つ目の理由は、指導者の社会人としての成長以上に子供達を成長させることはできない、という信念を持っていることです。私自身が社会の最前線で、これからの社会がどうなるのか、そこで求められる人材とは、ということを肌で感じながら「リアルな社会」を子どもたちに伝えていくことが大切だと思っています。
二つ目の理由は、スポーツ指導者の働く環境の改善のためです。どうしても月謝ビジネスには限界があります。月謝5000円で会員を10人増やしたとしても月の売り上げは5万円しか増えないにも関わらず、子供が増えるにつれて安全管理の面からも結局スタッフの数を増やさないといけないため固定費は上がり、結局いたちごっこのようになってしまうという側面があります。
そのため給料がなかなか上がりにくく、多くのスポーツクラブはこれから結婚や出産を控えている優秀な若手や、家族を持つ経験値のあるスタッフが安心して長く働ける環境ではないんです。だったらどうするか?サッカーで30万しか稼げないなら、それ以外の時間でもう20万稼げばいい。
優秀なメンバーにここで長く働いてもらえるようにするには、スポーツを通じて身に付けてきた力をビジネスの世界でも活かすことができるよう「翻訳」をしていくことが大切です。
そうして、サッカーからの収入だけに依存せず、自分らしいキャリアを切り拓いていくためのキャッシュエンジンを複数箇所に持つことが重要だと考えています。そのため、私たちの就業規則には、「アンビスタが倒産しても生活するための複業を1つ以上もつこと」を明記しています。
英Laureus FoundationとのパートナーシップをNIKEがサポート!?
2018年12月12日にアンビスタはイギリスのLaureus Sports for Good Foundation(以下、ローレウス)とのパートナーシップ契約を結びました。
これは、地域(荒川区)のスポーツ環境改善による女子・女性のエンパワーメントを促進することを名目としたパートナーシップです。女子がイキイキと自分らしいキャリアを構築し、幸せを追求していくことをスポーツを通じてサポートする日本の先進事例を創ることに挑戦しています。
ローレウスはもともと世界中(主に発展途上国)でのスポーツ環境改善に務める財団で、先進国で中長期的な取り組みを行うのは初めてだそうです。当然ローレウスは日本に事務局を持っておらず、元々繋がりのあった米NIKE.Incが関わり、NIKE Japanが日本での活動の窓口になったと聞いています。そのような経緯でNIKE Japanが日本NPOセンターを通じてピックアップした支援先候補団体に、偶然アンビスタが入っていたということです。
その後、事業プレゼンを経てローレウスとの契約が正式に決まり、日本での活動においてはNIKE.Inc/Japanに直接的にサポートをして頂いているということです。
今回の契約締結にあたり最も評価された事業は、中学生の文武両道を通じて女性としてのキャリア教育を行なっているアカデミー(Academia Ambista)です。
私はサッカーを指導する上で、「プロになることが全てではない。プロへの道はあくまで選択肢のうちの一つで、スポーツ経験を通じて女性としての自分らしいキャリアを創っていくことが最も大切」だと考えています。
そのためアカデミーでは国数英理社といった教科教育は一切行わず、クラブでの活動を通じて自然と身に付いている非認知能力(=コミュニケーション、リーダーシップ、チームビルディング、プレゼンテーションなど)を別のフィールドでどう活かすか、に特化した超実践型の講義を行っています。
こうしてLaureusとの契約締結によってNIKEとの協働が始まり、日本サッカー協会が行っているなでしこ広場のサポートや、先日行われた日テレベレーザの絶対的10番である籾木結花選手のAcademia Ambistaゲスト参加も実現しました。
荒川区発・多種目多世代の総合型地域スポーツクラブへ
“多種目多世代”という言葉に対して「何年以内に何種目網羅する」「どのスポーツを狙いにいく」などといったKPI/KGIは置かないスタンスです。どちらかと言うと、数ある出会いの中で想いが一致した人と何かできることを探していくという感覚の方が強いですね。
その人自身に信念と情熱があり、法人として大切にしているフィロソフィーに共感し、共にビジョンの実現を目指してくれるスポーツ指導者と出会えるかが勝負だと思っています。
その結果、徐々に種目数が増えて、このマチで暮らす人々に紹介できる選択肢が増えたらいいなと思っています。
今の所、アンビスタハウスというスタジオ/セミナールームを持てたこともあって、各種ダンス教室や、総合スポーツ教室biima sports(ビーマ・スポーツ)、プログラミング教室、さらには子供の自己表現を促進する演劇教室の展開も始めています。
日本のスポーツ界をカッコいい大人でいっぱいの世界に
この世界にきて3年が経ち、スポーツ業界で働くことには様々な課題が複雑に絡み合っていると実感しています。
「好きなことを仕事にしたから、多少収入が少なくても頑張れる」という日本ならでは美徳とされるような価値観が存在していることは事実だと思います。
でも、私たちは、誰と比較するわけではなく相当な覚悟・情熱・信念をもって子供たちと向き合っている自負があります。言い方を変えれば、それだけの「教育的価値」を地域に、日本の未来に提供しているという自負が。そうである以上、私は単純に「それに相応しい報酬を得るべき」だと思っています。
大好きなスポーツを仕事にした上で、十分な報酬を得て、自分らしいイキイキしたキャリアを歩んでいる。そんなキラキラ輝くロールモデルをひとりでも多く増やしていくことが、今後のスポーツ界を牽引する優秀な人材の育成へと繋がっていくと信じています。
あとは単純に、スポーツ業界(指導者)が「子供達の憧れの職業」として上がってこないというのは私たちに大きな社会的責任があるでしょう。それはもうハッキリ言って、「楽しそうではあるけど大変そう」という子どもたちの声の表れですから。
好きを仕事にした上で、現場で指導者としてバリューを発揮するのは、プロとして当たり前。別のフィールドでだって、スポーツを通じて得てきた力(ソーシャルスキル)を翻訳することで活躍することができるポテンシャルはみんな持っています。
そうやって一人の社会人として、グラウンドの仕事だけでなく、オフィスでの仕事も存分に人生を楽しんでいるということを子供達に見せること。これこそが、これからのスポーツ指導者のあるべき姿だと考えていますし、そういうモデルをこのスポーツクラブから示していきたいですね。