タイガーマスク以前の佐山聡。 19歳のマーシャルアーツ戦。

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タイガーマスク以前の佐山聡。 19歳のマーシャルアーツ戦。

小柄な佐山聡が新日本プロレスでデビューしたのは1976年の5月だ。
前座の試合を何試合か見たが、決して目立った存在ではなかった。

佐山聡がちょっとした注目を浴びたのが、1977年11月14日に日本武道館で行われた「格闘技大戦争」という梶原一騎の名のもとに行われた格闘技イベントだった。
19歳の佐山はアントニオ猪木に指名された形でミドル級1位で21歳のマーク・コステロ戦に臨むことになる。

アメリカではマーシャルアーツ(WKA=全米プロ空手)がブームでその筆頭がベニ―・ユキーデというライト級のチャンピオンだった。
ヘビー級王者にはザ・モンスターマン・エディがいて1977年8月に猪木と格闘技世界一戦を行っている。

あの佐山が格闘技戦に挑むのか。
まだ、私は学生だったが「猪木の弟子で佐山っていうのがいるんだ」と友人たちを誘って、日本武道館の2階の招待席に座った。

猪木がリングサイドにいた。
セコンドは山本小鉄だった。

2分6ラウンドのマーシャルアーツ・ルール。

両者とも大き目のボクシングローグをつけての戦い。
投げは認められず、寝技は禁止で、本来はキックとパンチで戦わなくてはいけない試合だった。
それでも、佐山はプロレスラーらしくコステロに組み付くと、レフェリーが制止するのも構わず、抱えては投げた。
腹を合わせて反る・ベリー・トゥーベリーのスープレックス。そしてバックドロップ。
佐山は組み付いては投げに行った。

「決まった」と思った。
だが、コステロは猫のような受け身をとると、スクッと立ち上がった。
最初、場内に驚きの声が上がった。

続いた投げも同じように効果がなかった。
コステロがレスリング経験者だったからだ。

打撃戦、佐山は目白ジムで特訓してきた自信のローキックやパンチを繰り出したが、長身のコステロのヒザや左のパンチがそれを上回った。
劣勢の佐山はダウンを繰り返す。

佐山はロープ際に崩れて、あるいはヒザをついて、ほとんどTKO状態だったが、最終ラウンドもどうにか持ちこたえて、判定負けという結果になった。
もちろん、完敗だった。