第2次大戦中、長崎県佐世保市上柚木町の相当ダム建設に従事して亡くなった米国人捕虜と日本人の慰霊祭が23日、現地であり、関係者約45人が出席した。
ダムは旧日本軍が建設し1944年に完成。過酷な作業を強いられ、米国人53人、日本人14人が死亡した。戦後は佐世保市が譲り受け、現在も市北部を中心に水を供給している。
慰霊碑は佐世保市が1956年、ダムのそばに建立。米海軍佐世保基地によると、慰霊祭は少なくとも30年前から開いているという。
司令官のブラッド・ストーリングス大佐は「国防のために尊い命を犠牲にしたみ霊のために追悼の意をささげ、立派な功績に思いをはせる」と追悼。市基地政策局の東隆一郎局長は「普通のこととして水道の恩恵を受けているが、尊い命で築かれたことを忘れてはならない」と、朝長則男市長のメッセージを代読した。
地元代表で出席した柚木地区自治協議会の永渕秀雄会長(75)は「ダムができた経過を伝えていくのが私たちの義務」と話した。