『幻の哀愁おじさん』岩井ジョニ男著 どこかにいるようで

 なんだこの本。というのが、第一印象。なんかいい紙使ってそうだし、装丁もシュッとしてるけど、芸人・岩井ジョニ男のタレント本……? 岩井の人柄は残念ながらほとんど知らない。ほら、タレント本って、人気女優の素顔が垣間見えたりするから面白いわけで。岩井ジョニ男の場合、表の顔を知らないから素顔を見せられても……。と思っていたら、そういうことではないらしい。

『幻の哀愁おじさん』という書名通り、本書の主役は岩井ではない。彼は架空のサラリーマンを演じており、本書はそのおじさんの写真集、というわけだ。てことは知らんおっさんが知らんおっさんを演じて、それを写真集に……なにそれこわい!どういうモチベーションで本作ったの文藝春秋!って思ってたら、岩井はInstagramでこのようなおじショットを投稿していて、それが人気を呼んでいるらしい。で、それを一冊にまとめた、ということなんだって。なるほど、そういうことか。

 舞台は東京。新橋、上野、浅草、五反田、蒲田に銀座……。三つ揃いを着た、うだつの上がらないサラリーマンの日常を切り取った写真集だ。写真はどれも、古い映画を観ているようなノスタルジックさがある。そのスクリーンのなかでおじさんは、笑ったり食べたり、仕事をサボったりしている。

 どうしてだろう。その写真を眺めていると、なんだかホッとするのだ。お世辞にも仕事ができそうとは言えない、冴えないおじさんだから?

 一息ついてるシーンが多いから? いつもひとりぼっちだから? どこかで会ったような懐かしさがあるから?

 ひょっとしたら、どこかにいるようでどこにもいないからかもしれない。社会の中で生きているようで、誰ともいない。私の暮らしに関わることは絶対にない、決して交わらない平行線。時事問題も出てこなければ、私や誰かを傷付けることもないし、私が傷つけようにもどこにもいない。その断絶された、この世界と似て非なる世界は、見ていてなんだか安心するのだ。

 ずいぶん前にどこかで会ったことがあるような、ごきげんなおじさんの写真集。その浮遊感はなんだか妙にクセになりそう。

(文藝春秋 1350円+税)=アリー・マントワネット

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