「大島羽指文書」を初公開 藩からクジラ漁師への感謝状 生月町博物館・島の館

初公開されている「大島羽指文書」=平戸市生月町博物館・島の館

 江戸期に択捉島で捕鯨調査に従事した「羽指(はざし)」と呼ばれる平戸市大島村出身のクジラ漁師に対し、平戸藩が贈った感謝状「大島羽指文書」(市指定文化財)が市生月町博物館・島の館で初公開されている。
 平戸では縄文時代にクジラの捕獲や解体に使われた石器が多数出土しているほか、日本最大の捕鯨集団を組織した益冨組がかつて生月島に拠点を置くなど、日本の捕鯨の歴史でも重要な位置を占める。地元に伝わる貴重な文化を知ってもらおうと、同館が子孫から借り受けた。
 同館によると、1799年、幕府は択捉島で商業捕鯨の可能性を探るため、平戸藩に羽指の派遣を要請。翌年、益冨組の羽指2人が約2カ月間調査し「餌が豊富でクジラは多いが、海象が厳しく操業は困難」などとする調査結果を江戸で報告後、平戸に帰着した。
 同館の中園成生学芸員(56)によると、藩からの感謝状には筆で「幕府に用向きを済ませ、このたび首尾よく戻ってこられたので褒美と代々町人格を与える」などと記されている。
 同館は捕鯨に関する平戸の史料を順次紹介したい考えで、6月1日からは日本人とクジラの関係を歴史的に検証する計4回の講座を市内で開く。受講は無料で定員40人。問い合わせは同館(電0950.53.3000)。

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