親黙り、子黙り 「4歳児ぐらいの大きさの真っ黒な物体」|川奈まり子の奇譚蒐集二六(下)

――前回からの続き――

不思議な少年に夜光虫の見える浜へと案内してもらった家族。しかし、父親の祥吾さんは海に入った時“誰かにしがみつかれた”ような違和感を感じ、一刻も早く海から離れたいと思っていた……

はじめから読む:親黙り、子黙り「お兄ちゃんは木の間に入っていって見えなくなった」|川奈まり子の奇譚蒐集二五(上) | TABLO

目を覚ましていると怖いことを想像してしまう。だったら早く眠ってしまえばいいようなものだが、どうしても眠気が差してこない。

しばらくして、祥吾さんは無理に眠ることを断念した。

玄関の横に窓があり、中庭にある常夜灯のせいで仄かに明るんでいた。窓辺に置かれた4人掛けのテーブルの上に、今日持ち歩いていたデジカメがあり、視界に入った。

息子たちの笑顔を見れば気がまぎれるかと思い、祥吾さんは冷蔵庫から缶ビールを取り出すと、テーブルの椅子に腰かけてチビチビ飲みながら、デジカメの写真データをチェックしはじめた。

竹芝桟橋から乗った船で、到着直後の式根島の桟橋で、海水浴場で、彼はこまめに写真を撮っていた。ほとんどが子どもたち――隼人さんと翔琉さん――を写したもので、ときどき妻の正美さんも画面に入っている。祥吾さん自身が写っているのは、迎えにきた宿の主人に桟橋で撮ってもらった1枚だけだ。

……いや、違う。

宿のバーベキューテラスでの食事風景の写真を見て、夜光虫を見物したとき少年に写してもらったことを思い出した。

バーベキューを食べているとき、そばを通りがかったアルバイトの少年に追加の肉を注文した。それが縁となって、夜光虫見物に連れていってもらい、ついでに奇妙な体験をしてしまった次第だ。

近所の高校生だと言っていた。今どき珍しい良い子だと思っていたが、夜光虫の海で変なことがあったせいで、印象が悪く変わってしまった。

――正美が渡そうとしたお駄賃を受け取らなかったのは、まあ、いいとしても、逃げるように立ち去ったのは如何なものか。不自然だった。

つらつらと今夜の出来事を思い返しながらデジカメの液晶画面を眺めるうちに、バーベキューを食べている息子たちの後ろの方に少年が写り込んでいることに気がついた。

離れたところに立っている。こちらを振り向いた瞬間で、ピントは合っていないが、斜め横を向いた顔や背格好から、間違いなくあの少年だとわかった。

しかし、それが、ひどく冷たい無表情なのだった。自分がカメラの画角に入っていることに気がついていなかったのだろうが、それにしても別人のように厭な表情をしている。

――こんな顔をする子だとわかっていたら、話しかけたり夜光虫見物の話に乗ったりしなかったのに。

祥吾さんは不愉快になって、デジカメの写真を先に送った。

バーベキューの次は夜光虫の写真だ。漆黒の水面に真っ青な光のさざ波が立ち、その只中で妻と息子らが戯れていた。

――肉眼ではここまで青く見えなかったな。

あらためて、美しいものだと感心したが、何かが頭に引っ掛かり、これを撮ったときのシチュエーションを思い出しつつ、もういちど写真を観察した。

――あっ! あの子が写っていない! あのときは確か正美に「あなた、写真を撮ってよ」と言われて、一枚だけ撮ったのだ。アングルを変えてもう1枚撮ろうとしていたら、あいつが「僕が撮ります。交代しましょう」と申し出て、砂浜に上がってきたんじゃないか! これに写っていないのはおかしい!

あり得ないことだと思ったが、どんなに目を凝らしても、そこに写っているのは妻と2人の息子たちだけだった。

少年は隼人さんのすぐ隣に立っていたはず。祥吾さんはその光景をありありと脳裏に蘇らせることができた。ほんの数時間前の出来事なのだから当然だ。

次の写真には、少年と入れ替わった祥吾さんも写っていた。

後ろから腰にしがみついた小さな手の感触をまた思い出してしまい、うなじの毛がチリチリと逆立つ心地がしたが、我慢して画面の隅々まで点検した。すると……。

「僕の斜め後ろに、当時4歳の翔琉と同じぐらいの背丈の黒いものが立っていたんです。暗い夜の海ですけど、それにしても、そこだけ切り抜いたみたいに本当に真っ黒で……人の形とは少し違っていて……天辺が丸い円筒形のような、コケシのような……。もちろん、僕の影がそんな風に写っていただけかもしれません。心霊写真なんて、どれも目の錯覚でしょう? でも、同じものがもう1枚にも写っていたんですよ! 海岸を立ち去り際に水音を聞いて、振り返ったら、夜光虫が太い帯になって海岸を目指して伸びてきていたと話しましたよね? あのときも妻に言われて写真を撮りました。それにも、同じ真っ黒なコケシみたいなのが写ってたんですよ。光の帯の先頭に立って、浜に上がって来ようとしているようでした」

それは、祥吾さんが階段で見たものと大きさや形が一致した。

海からついてきたのだと思うと、にわかに外が気になりはじめた。仄明るい窓が彼のすぐ真横にあった。玄関側にあるこの窓は、他の部屋の人々も行き交う中庭に面しており、目隠しのために凸凹ガラスがはまっていて外の景色が見えない。

見えないのだが、中庭に何か居るのではないか。そんな気がした。

祥吾さんの頭の中では、その〝何か〟は、なぜかあの少年の姿を取ったり、黒いコケシのようなものになったりと、変化を繰り返していた。

「中庭に佇んでいる少年を、僕らが夜光虫見物から帰ってきたとき、玄関ドアを閉める直前に見たような気がしました。見直したら居なかったわけですが、そのときの少年の表情というのが、バーベキューの写真に写っていたような厭な感じの無表情だったと思うのです。僕が勝手にそういうふうに想像してしまっているだけかもしれませんけど、どうしてもそういう景色が頭に浮かんでくる……。それでもう、すっかり怖くなってしまって、寝ることにしました」

祥吾さんはデジカメの電源を切り、缶ビールの残りを急いで飲み干してベッドに潜り込んだ。

寝ている家族を眺めながら横たわる。
隣の簡易ベッドには隼人さんが仰向けに寝ており、その向こうに、妻の正美さんと翔琉さんがくっつきあって眠っている。エアコンが適度に効いた室内は快適で、たいへん静かだった。正美さんたちのベッドに近い側の窓には白いカーテンがかかっていた。

「ぼんやり見ていたら、そのカーテンが不自然に揺れはじめたんですよ。エアコンの風のせいじゃなく、もっとはっきりした動きです。小さな子どもがカーテンの後ろに隠れて遊んでいるかのような……。カーテンに近づく勇気はありませんでした。妻たちを起こしてしまうでしょうし。だからもう、ギュッと目を瞑って、無理にでも眠ってしまうことにしたんです」

いつの間にか眠りに落ち、翌朝は目覚まし時計の音で目を覚ました。

家族全員で宿泊棟を出て、宿の母屋にあるレストランで朝食をとった。他の宿泊客も大勢そこに集まって食事していた。そして、朝食が終わる頃になると、宿の主人が現れ、レストランに居合わせた皆に、有料の夜光虫と星空見物ツアーの参加者を募った。

祥吾さんと正美さんは困惑し、宿の主人や他の宿泊客に対して少し後ろめたさを覚えた。知らなかったこととは言え、無料で夜光虫を見せてもらってしまったので。あのアルバイトの少年は、宿がこういうイベントを企画していることを知らなかったのだろうか?

そこで、レストランを出る前に宿の主人に昨夜のことを話したのだが。

「近所の高校生のアルバイトですか? 女の子なら2人いますよ」
「いいえ。男の子で、鈴木太郎と言っていました」
祥吾さんが宿の主人にそう言うと、正美さんが怪訝そうに「違うでしょ?」と横合いから口を出した。
「そんな名前じゃないわ。佐藤タケシくんよ」
宿の主人は肩をすくめた。
「どっちにしても、うちのアルバイトじゃありませんよ。バーベキューに誰かまぎれこんでいたのかもしれませんね。……ちょっと危なかったんじゃないかな。知らないヤツに夜の海に連れていかれて、何かあったら大事になるところです。次からは気をつけて!」

旅行2日目のその日も、日没まではこれと言ってトラブルもなく、式根島観光を楽しんだ。

宿で自転車を借りて、天然温泉と展望台など、島の観光スポット巡りをし、午後3時頃から1時間ばかり、昨日と同じ、宿の近くの海水浴場で子どもたちを遊ばせた。

その日の夕食は、郷土料理が売りの食事処に5時半から予約を入れていた。宿の主人の話では、子どもの足でも5分で行けるところにあるということで、実際、会話しながら歩いていたらあっという間に店に到着した。

島の特産物である明日葉の天ぷらの他、赤烏賊、とこぶし、金目鯛などの海の幸を堪能し、祥吾さんと正美さんはビールで乾杯した。

その頃には、祥吾さんは、昨夜の怖い出来事がすべて夢だったかのように思われてきていた。それほど、一点の曇りもない完璧な1日を過ごしたのだった。

勘定を済ませて店から出ると、4人は夜の道を宿へ向けて歩きだした。

しかし、それから1分と経たないうちに翔琉さんがこんなことを言って、全員立ち止まることになった。

「パパ、ママ! 後ろからお友だちがついてくるよ」

幼い子どもによくあることだが、この時期の翔琉さんには、初対面であっても、自分と同世代の小さな子であれば〝お友だち〟と呼ぶ傾向が見られた。

もう辺りはとっぷりと暮れている。ここは恐らく島のメインストリートだろう。だが、賑やかな都心に慣れた祥吾さんたちの目にはずいぶん寂しい景色に映じた。8時には間があると思われたが、田舎の夜は早い。食事処に行くときには開いていた土産物屋や弁当屋はすでにシャッターを下ろしており、人通りが少なく、街灯も乏しい。

「迷子かしら」と呟きながら正美さんが後ろを振り返った。祥吾さんも今来た道を振り返り、道の脇や遠くの方までつぶさに眺めた。

しかし、子どもの姿はどこにも無かった。

「誰もいないよ。翔琉の嘘つき」
と隼人さんが言った。
「嘘じゃないもん! ホントにさっきまで居たんだよ! お店の前からついてきた。僕くらいの子だよ?」
翔琉さんは懸命にそう訴えたが、そんな子どもはどこにも見えないのだから仕方がない。後ろを気にする翔琉さんをなだめながら、4人は宿への道を再び歩きだした。

「ところが、行きには5分しか掛からなかったのに、10分歩いても宿に着かないのです。道は宿の近くで一回曲がるだけで、あとは真っ直ぐでした。迷うわけがないんです。でも着かない! ということは、道を間違えたとしか考えられないわけですが、納得がいきませんでした」

祥吾さんと正美さんは、曲がり角を通りすぎてしまったに違いないと結論づけた。そこで今来た道を引き返すことにして、しばらく行くと、間口の広い商店がまだ店を開けていた。日用品や食料品を売っている、都会では追訴見かけなくなった〝なんでも屋さん〟だ。

さっきは確かに目に留まらなかったが、それなりの大きさの商店で、四枚引きの板ガラスの扉から黄色い光が夜道にこぼれていた。

こんな店を、前を歩いていて見落とすはずがない。しかし、目に入れずに歩いてきたことになる。

不思議さに圧倒されて祥吾さんが店の真ん前で立ち止まると、正美さんが肘を掴んだ。見れば不安げな顔だ。自分も同じ表情を浮かべているに違いないと祥吾さんは思った。

と、そこへ、店の中から年輩の女性が現れて、話しかけてきた。

「さっきレジを締めたんだけど、ご入用のものがあればお伺いできますよ」

買い物に来たのだと誤解されたらしいと気がついた。

「……いいんですか? すみません」

わざわざ説明することもないと判断したのだろう。正美さんがそう言って、女性について店に入っていったので、ゾロゾロと後に続いた。

そして、晩酌用のワインやジュース、袋菓子、虫よけスプレーなどを買い、会計するときに宿の名前を出して道を訊ねたのだが、

「そこから買い物に来たんじゃないの?」
と、いぶかしそうに質問されてしまった。
「いえ、この通り沿いにある郷土料理の食事処に行った帰り道なんですよ」
そう祥吾さんが答えると、「じゃあ行きすぎちゃったのね」と店の女性は納得したようすになった。

「今のシーズン、うちに買い物に来るお子さん連れのお客さんには、あそこに泊まってる人がとっても多いの。ここを出て20メートルぐらい行くと路地があるから、そこを曲がったらすぐですよ」

「店のおばさんに言われたとおりでした。宿からいちばん近い商店なんですね。翔琉は何も気づかなかったようですが、隼人は明らかに奇妙なことが起きたのだと理解していて、部屋に入る直前まで僕と手を繋いでいました。5歳くらいまではよく手を繋いで歩いていましたけど、その頃には隼人の方から手を繋ぎたがることはなくなっていたのに。よっぽど不安だったんでしょう。部屋に入ってからも、僕や正美にいつもより甘えたがるようすでした」

その夜は9時半頃に息子たちを寝かしつけたのだが、隼人さんは独りで簡易ベッドを使いたがらず、玄関に近い祥吾さんのベッドで一緒に寝たがった。
添い寝してやると隼人さんは数分で眠りに落ちた。翔琉さんもすぐにぐっすりと眠ったので、夫婦で黙ってテーブルの方へ移動して、さっき商店で買ってきたワインを飲みはじめた。

正美さんは、「狸に化かされたのかな」と祥吾さんに言った。
「だって昨日から変なことが続いてるじゃない? あの男の子が狸だとしたら全部説明がつく……わけがないよね」
「僕は海から何か連れてきちゃったんじゃないかと思う。もったいないけど、夜光虫のときの写真データは削除しようよ」

正美さんが了解したので、その場でデジカメを操作して夜光虫見物のときの写真を全部消してしまった。

そうするうちに、バーベキューのときの写真に少年が写り込んでいたことも祥吾さんは思い出して、正美さんにデジカメの液晶でその写真を示しながら、「これも削除していいかな?」と訊ねた。

すると正美さんは液晶の画面をしげしげと観察して、眉をひそめた。
「こんな顔だったかしら」
「無表情で怖い顔してるだろ?」
「え? 無表情って? 笑ってるよ?」
驚いて液晶を覗き込むと、少年が歯を見せて笑っていた。おまけに、真正面を向いている。斜め横顔だったはずが。祥吾さんはワッと叫んで、咄嗟にその写真を削除した。

途端に、中庭の玉砂利を踏む音がして、すぐに玄関が静かにノックされた。

トントン……トントン……。

何度かドアが叩かれたが正美さんも祥吾さんも目を見交わしたまま凍りつき、訪問者が立ち去るのを待った。

ややあって、再び玉砂利を踏んで歩く音が始まった。玄関側の壁沿いに、行ったり来たりしているようだった。

「その夜は、これだけでした。足音も、しばらくすると聞こえなくなりましたし。でも翌日の夜はこれがもっとエスカレートしたんですよ」

3泊目の夜は7時半頃から家族全員でテレビを見ていた。8時になる前から中庭を誰かが歩きまわっているようだったが、子どもたちは番組に夢中で、それにまた、まだ他の部屋の客が出入りする時刻でもあったので、誰も気に留めていなかった。

10時近くなり、正美さんが「子どもはもう寝る時間」と言ったときのことだ。

突然、玄関のドアがトントンと叩かれた。

「誰か来た! パパ、誰か来たよ!」

隼人さんに言われたが、昨夜のことが頭をよぎり、夫婦で目交ぜした。ノックは、叩き方こそ大人しいが、執拗に続いている。

「出ないわけにも……」と、ついに正美さんが厭そうに呟いて重い腰をあげた。

玄関のそばで、「どちらさま?」と訊ねる。途端にノックが止み、ジャリッ、ジャリッと玉砂利を踏む足音が始まった。振り向いた正美さんの表情は引き攣っていた。

「……悪戯かもね。さあ、もう寝なさい!」

正美さんは玄関に背を向けて息子らに命令した。「早くトイレに行って!」と。息子たちは素直に従って、寝る準備を始めたのだが、その間も祥吾さんはずっと誰かが玉砂利を踏んで中庭を歩きまわる音を聞いていた。

「パパ、テレビを消して」
――音はずっと続いている。
「消さないとダメかい?」
「何言ってるの? リモコン貸して」
止める間もなく、正美さんがリモコンを取り上げてテレビの電源を落とした。

すると、中庭の方で玉砂利を踏んで歩きまわる足音がひときわ騒がしくなった。ジャリジャリジャリジャリと部屋の前を行ったり来たりしている。

「ママ、お外に誰かいるねぇ」と翔琉さんが正美さんに話しかけた。
「そうね。誰かな? だけど翔琉と隼人はもう寝ないといけないよ」
「……パパ、今日も一緒に寝ていい?」と隼人さんがおずおずと甘えてきたので自分のベッドに入れてやってから、祥吾さんは戸締りを確認した。

「ドアの鍵が掛かっているか確かめて、チェーンを掛けました。窓も全部ロックして、電気を消したら……コツッと窓に小石が当たるような音がしました。1回音がして、窓の方を振り向いたら、またコツッと来て、それから立て続けに5、6回も鳴ったので、内心ビビりながら、『ちょっと見てくるよ』と家族に言って、玄関から出てみました。でも誰もいませんでした。なのに、中に戻ってドアを閉めたらまたジャリジャリと歩く音が聞こえてくるじゃありませんか! そこでもう1回、外を覗いてみたんですよ。するとやっぱり誰もいないし、足音も止んでいる……」

「パパ、もう止めて! もう確かめなくていいよ! 隼人が怖がってる」
「そうだね。……ごめんね、隼人」

ベッドに入ると、間もなくうつらうつらとしてきた。それからもジャリジャリという足音や窓に小石がぶつかる音を聞いたような気がしたが、いつの間にやら熟睡していたようで、目が覚めるとすっかり夜が明けていた

――最後の夜になった。

その日は朝早くから隣の新島へ遊びに行き、夜は再びバーベキューテラスでバーベキューを食べた。バーベキューテラスに不審な少年が現れることはなかったが、食後、部屋のドアを開けると、室内の真ん中に例の黒いものが立っていた。

そう、あの、4歳児ぐらいの大きさの真っ黒なコケシのような何かだ。そのシルエットを祥吾さんは確かに見た、と思った。

目に入った直後に電気を点け、明るくなったときにはそいつは消えていたのであるが。

しかし見間違いではなかった。その証拠に、それが立っていた辺りの床に直径30センチほどの円い水溜まりが出来ていた。

怪異はそれだけではなかった。さらに、戸締りをするとすぐにコツッコツッと窓に小石が投げつけられる音がしだしたのだ。

昨夜よりも音の間隔が狭い。

「この水、海水だわ」

水溜まりを拭いていた正美さんが顔を上げた。

「磯の匂いがする。留守の間に誰かが勝手に入ったのか、それとも……」

――オバケの仕業か。

「パパ、お外に誰かいる。足音がする」

翔琉さんは玄関の方を指差した。「ほら!」。その声に呼応したかのように玉砂利を踏む音が高くなる。隼人さんが「僕、怖い!」と叫んで祥吾さんのベッドに潜り込み、頭から布団を被った。
「よしよし。こういうときは早く眠っちゃうのが正解だ。パパも、もう寝るよ」
そそくさと寝る支度をして、まだ9時すぎだったが、全員ベッドに潜り込むことになった。

――どれほど眠っただろうか。

祥吾さんは眩しい光を瞼に感じて、目を覚ました。朝になっていた。隣の簡易ベッドの布団が膨らみ、小さな頭の天辺が端から覗いているのが見えた。一緒に寝ていた隼人さんが、いつのまにかあちらに移動したのだと思った。

正美さんと翔琉さんもまだ眠っている。

窓の外が白く輝いていたので、今日はカンカン照りの暑い日になりそうな気がした。しかし今ならきっとまだ涼しくて、外気が清々しいだろう……。

気分の良い目覚めだった。祥吾さんは伸びをして布団から出ると、玄関でサンダルをつっかけて、寝巻のままドアを開けた。朝日を浴びながら、大きく伸びをする自分をイメージしながら……。

「でも、外は真っ暗だったんですよ! 何が起きたか一瞬わかりませんでした。混乱しながらドアを閉めたら、後ろから隼人が僕を呼びました」

「パパ……?」
振り返ると、自分のベッドの上に隼人さんが座っていた。

しかし簡易ベッドにも誰かが寝ている。

「パパ、どうしたの?」

祥吾さんは返事に詰まり、簡易ベッドに寝ている誰かを凝視するばかり。その視線を追って、隼人さんもそちらを振り返り、「……翔琉?」と呟いた。

「そ、そうだ、翔琉だな! ひとりで寝てみたかったのかな?」
「パパ、なんか変だよ」
「そんなことない! さあ、もうちょっと眠ろう」

ベッドに戻り、隼人さんと向かい合って横になったが、もう眠れなかった。隼人さんも眠れないようすで、だいぶ経ってから、冴え冴えとした声で、祥吾さんにこんなことを言った。

「僕、ホントはわかってるんだ。さっき、パパは怖がらせないために頑張って嘘をついたんだよね。ホントは最初からわかってたけど、僕、黙ってたんだ」

やがて本物の朝が来ると、簡易ベッドにいたものは蒸発するように空気に溶けて消えてしまった。その後、布団を捲ってみたところ、シーツは言うに及ばずマットレスの底まで染み通るほど大量の海水で濡れていた。

「旅行から帰ってくると、家の中で子どもの足音がするようになりました。うちの息子たちがいないときでも歩きまわっているので、島から連れてきちゃったんだなと思いました。また、たまに磯の匂いがする水が床に滴っていたり、コツッと窓に小石が当たる音がしたり……。でも、うちの家族はそのことについてひと言も話をしませんでした! 翔琉ですら、怪しい足音や何かのことを、なぜか言わないまま……。1年ぐらいで何も起きなくなって、あれから10年以上経ちますが、どういうわけか、この話はうちではまだしづらい雰囲気なんです」

高橋祥吾さんの体験談は以上である。

偶然とは恐ろしいもので、お話を傾聴するうちにわかったのだが、私も、祥吾さんたちが滞在した宿に家族と一緒に泊まったことがあった。

郷土料理で評判がいい食事処や宿の近くの商店も知っている。もちろん海水浴場も。そして、面白いことには、私たちも同じ場所で夜光虫を見物していたのだ。妖しい少年とは出逢わなかったし、何も不思議なことは起きなかったのだけれど。

実は私は何回も式根島を訪れたことがある。

式根島は伊豆諸島の中にある有人島のひとつだ。伊豆七島という呼び名を耳にしたことがある方が多いと思われるが、それは、江戸時代には伊豆諸島の主な有人島が伊豆大島、利島、新島、神津島、三宅島、御蔵島、八丈島の七つだったことに由来し、その中に式根島の名前はない。

静岡県の伊豆半島沖から太平洋に向かって連なる伊豆諸島は大小さまざまな百余りの島々からなり、大半は無人島だ。式根島にも、明治時代まで定住者はいなかった。

しかし江戸時代には塩田や漁場、風待ちの港として利用されていた他、縄文時代中期の遺跡も存在する。

人の居住が進まなかった理由は、長らく真水の確保に苦労したせいと、土地の狭さに理由があるようだ。式根島は、とても小さい。どのぐらいかというと、面積3.7平方キロメートル、外周約12キロメートルというコンパクトさで、そのため今でも島内には公共の交通機関やタクシーが無い。

私は訪れるといつも貸し自転車を利用していた。海水浴場や天然温泉と宿を行き来するだけなら、前カゴが付いた自転車があれば充分だった――祥吾さんたちも自転車を借りていたので、小さな子どもを連れた家族というのは、条件が揃えば、ほとんど同じ行動を取るものなのだと思った次第だ。

ところで、伊豆七島界隈には《海難法師》という怪談めいた伝承が存在する。島によって多少ストーリーや細部が異なるが、大筋は同じで、海難事故で亡くなった者の幽霊が沖からやってきて、その姿を目にすると命を落とすという一種の怪談だ。この言い伝えに基づいた鎮魂と厄除けの儀式や習慣も存在する。

この《海難法師》の伝説は、実際の出来事が元になっているという説がある。

江戸幕府は八丈島を直轄領にして八丈島の役所に代官(八丈島代官)を置き、この海域の有人島から年貢を徴収していたのだが、無慈悲な取り立てを行う代官に島民たちが苦しめられることが多々あった。

そしてとうとう、寛永5年(1628年)旧暦1月24日(新暦2月28日)、悪代官として島々で恐れられていた豊島忠松(豊島作十郎)が謀殺されるという事件が起きてしまった。

言い伝えられるところによると、伊豆大島の若者25人が結託して、大しけが予想される日に代官を騙して島巡りに連れ出した。そうして、伊豆大島から新島へ向かう海上で代官の船を沈没させたのである。

ここまでは計画通りだったろう。自分らの家族や親戚、知人友人を含む島人たちから感謝されるはずだと信じていたのではあるまいか。まさか、その後どの島の港にも迎え入れてもらえず、大時化の海に追い返されることになるとは思ってもみなかったに違いあるまい。

島の人々は後々お上のお叱りを受けることになるのを恐れて、いざとなると若者たちを見殺しにしたのである。25人の若者は荒れ狂う海をあてどなくさまよううちに、海の藻屑と成り果てた。

彼らの怨霊は《日忌様(ひいみさま)》と呼ばれ、1月24日になると恨みを果たすために島々を巡るのだとされている。伊豆大島の島民たちは鎮魂を願って日忌様の祠を建て、今も大切に祀っているということだ。しかし、殺された悪代官・豊島忠松の幽霊が島々を巡って住人を脅かすのだとする別説もある。また、旧暦の1月24日に伊豆七島の25人と悪代官が死んだわけではなく、もともと旧暦1月24日が伊豆七島では物忌みの日とされ、その日は仕事を休むだけでなく尿瓶を使うほどの徹底ぶりで外に一切出ずに家に籠もる習慣があり、これが巡り巡って《海難法師》の伝説になっていったとする説も存在する。

式根島観光協会のホームページに掲載されている《海難法師》の話では、「その日を親だまり、翌日25日を子だまりと言い、夕方早くから仕事を休み、音も立てないように早々に布団に入り……」と、物忌みの習慣についても触れていた。

――親黙り。子黙り。

家中で息を殺して災厄が通りすぎるのを待つ雰囲気がよく表れているではないか。(川奈まり子の奇譚蒐集・連載【二六・下】)

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