モンゴルリーグで活躍するサムライフットボーラー達の素顔

モンゴルリーグで活躍する日本人選手を紹介。外国人選手として結果を残し、プロサッカー選手としてモンゴルで生きる3人のフットボーラーにインタビュー。選手目線でのリアルな声をお伝えします。

西尾龍也(SPファルコンズ所属)

「得点王が取れなかったら、サッカーを辞める覚悟でモンゴルに来た。」

2018シーズン、西尾龍也は並々ならぬ思いを胸に秘めて、モンゴルの地に降り立った。その前年、モンゴルの古豪クラブ『ホルムホンFC』でプロデビューを果たしたストライカーは、降格争いをしていたチームを救うことができなかったことへの後悔を抱えていた。

尚美学園大学サッカー部に在学中、足首の靭帯を負傷。その怪我をきっかけに、一度はプロサッカー選手の夢を諦めた。しかし、サッカーへの情熱を隠しきれない自分の気持ちに、嘘はつけなかった。

「もう一度、プロを目指す。」

この時から海外でのプレーを視野に入れつつ、決死の覚悟でトレーニングを再開。約2年間サッカーから離れていたが、少しずつコンディションを戻した。2017年シーズンの移籍期間に合わせ、プロ契約を掴むためにモンゴルへ渡航。同じ時期にトライアルを受けに来た外国人選手達が契約を掴めずに帰国を余儀なくされる中、西尾はホルムホンFCとの契約を勝ち取った。しかし、自分が思い描いていたような活躍ができず、チームは2部へ降格。外国人選手として期待されていた結果を残せず、歯痒い気持ちのままプロ初シーズンを終えた。

しかし、西尾の元に1通のメッセージが届く。恵まれた体格を活かしたポストプレー、スペースへの抜け出し、自ら仕掛けられるドリブル、両足から放たれる正確なシュート。万能型ストライカーとして西尾を評価していた、同リーグ1部のデレンFCからのオファーだった。2018年シーズンもプロサッカー選手として迎えらる事を喜んだ半面、結果を残せていない自分への危機感も同時に抱いていた。

「どんな国でも、プロとして生き残る為には結果が必要だった」

そう語る西尾は、得点王獲得を自分へのノルマとした。どんな状況に追い込まれても、絶対に自分でゴールを奪うことを常に意識して、シーズンを戦い抜いた。その結果、西尾は自分へ課したノルマを達成させてみせた。

2019シーズン、得点王を獲得した西尾の元にはモンゴル国内8チームからオファーが殺到。その中から西尾が選択したのは、前年降格争いをしていたSPファルコンズ(旧セレンゲプレスFC)。

「自分が生き残るためだけではなく、チームも生き残れるように自らのゴールに拘りたい。」

そう語る西尾は、あえて厳しい道を選んだ今シーズンも、昨年と同様に有言実行するのか注目だ。

■西尾 龍也 (にしお たつや)

1995年7月10日生まれ 東京都出身

身長183㎝ 体重75kg

●サッカー経歴

いづみFC

東京久留米FC U-15

大成高校

尚美学園大学

2017年 ホルムホンFC(モンゴル)

2018年 FCデレン(モンゴル)

2019年 SPファルコンズ(モンゴル)

村田勝利(アスレティック220FC所属)

2018シーズン開幕前、『アスレティック220FC』と契約。加入直後のプレシーズンマッチにて、自らドリブルで持ち込んだ後、ペナルティエリア手前から強烈なミドルシュートをゴールへ突き刺す。挨拶代わりの一発を見せた日本人MFのインパクトは抜群だった。開幕前から周囲がざわつく。「あの日本人は誰なんだ!?」と。

関東学院大学卒業後、東京都リーグの社会人チームであるHBO東京を経て、東南アジアへのトライアルに挑戦した村田勝利。2016シーズンの後期から、ラオスリーグ1部『ラオトヨタFC』と契約し、プロキャリアをスタートさせた。2017シーズンには、AFCカップ(アジアのクラブチームによる国際大会)に出場。更に、国内リーグも制覇。ラオスで”結果”を残し、翌シーズンへ向けて新たな挑戦の旅に出た。

2018シーズン、自身のステップアップのために移籍を目指し、インドネシア、フィリピン、タイ等の東南アジア諸国へトライアルに行くが、なかなかチームが決まらない日々を過ごす。やっとの思いで契約したカンボジアでは、リーグへの選手登録が間に合わないトラブルが発生。本人の実力とは関係無く、試合に出られない状況に陥ってしまった。

そんな中、突然舞い込んだモンゴルからのオファー。モンゴル1部『アスレティック220FC』から、レンタル移籍でのチーム加入を持ちかけられた。

「どんな環境でも、自分のプレーで居場所を掴む。」

強い意思を秘める村田は、モンゴルでプレーすることを選択。紆余曲折を経て極寒の地に降り立ったセントラルMFは、チームの期待に応える活躍を魅せた。当初の契約は2018シーズン前期のみだったが、チーム側から完全移籍での買取オファーを受ける。チームでの絶対的なポジションを確立していた村田は、モンゴルに残ることを決意した。完全移籍後も、アスレティック220FCは村田の活躍に支えられ、国内カップを優勝。モンゴルでも”結果”を残した。

2019シーズンも、同チームから契約オファーを受けて再契約。

「プロサッカー選手として生き残るために、チームの結果に拘る。」

外国人選手として求めらる”結果”を残し続け、更なるステップアップを狙い続けるMFから、今シーズンも目が離せない。

■村田 勝利 (むらた しょうり)

1993年9月4日生まれ 神奈川県出身

身長172㎝ 体重72kg

●サッカー経歴

BANFF横浜ベイjr

BANFF横浜ベイjr youth

桐光学園高校

関東学院大学

HBO東京

2016~2017年 ラオトヨタFC(ラオス)

2018~2019年 アスレティック220FC(モンゴル)

金城寛大(エルチムFC所属)

2019年3月、日本人ストライカーは北朝鮮の地で、自身初の国際大会の舞台に立っていた。

「アウェイ独特の雰囲気、ボールコントロールの質の高さ、コンビネーション、相手は全てのレベルが一枚上手だった。」

金城寛大は、モンゴル王者『エルチムFC』の一員として、北朝鮮のチームとのAFCカップ(プレーオフ)に挑んだ。しかし、ホーム&アウェイで行われた試合は共に0-3の敗戦。チームの実力差だけではなく、自身の力不足を悔やんだ。

「少なからずチャンスはあった。だけど、今の自分にはゴールを決める力が純粋に足りなかった。」

しかし、この国際大会の舞台に立つまでに、彼はいくつもの困難を一歩ずつ確実に乗り越えてきた。

日本体育大学卒業後、タイでプロキャリアをスタートさせるが、思い通りの活躍ができなかった。翌年はチームを探すために東南アジアを中心にトライアルを回る日々。しかし、契約に至ることができずに一度は帰国。それでも諦めきらめ切れない金城の元に、エージェントを通じてモンゴル1部のチームからオファーが届いた。

2017年、『FCウランバートル』に所属した金城だが、チームは降格争いに巻き込まれてしまう苦しい状況。しかし、どんな困難に陥っても金城は決して諦める選択はしない。シーズン通算10ゴールという結果と共に、チームを最終節で残留に導いた。

翌2018年も、所属チームが無い状況からスタートしたが、モンゴル王者の『エルチムFC』に自らコンタクトを取り、練習参加を経てチームに加入。昨年の記録を上回る15ゴールという結果を残し、チームはリーグ優勝を達成。モンゴル王者のみに与えられるAFCカップ出場権を、自らのゴールで掴み取った。

「どんな場所、どんな環境であろうとも、自らのゴールで道を切り開いていきたい。」

この言葉通り、粘り強く、泥臭く、貪欲に、90分間ゴールを狙い続けるのが金城という選手のプレースタイル。ゴールという結果に強いこだわりを持つ生粋のストライカーは、初めて出場した国際大会での悔しさを糧に、これからもゴールを狙い続ける。

■金城 寛大 (かねしろ もとひろ)

1993年10月18日生まれ 大阪府出身

身長179㎝ 体重73kg

●サッカー経歴

スポーツネットサッカークラブ

墨江ヶ丘中学校

初芝橋本高校

日本体育大学

2016年 BTUユナイテッド(タイ)

2017年 FCウランバートル(モンゴル)

2018~2019年 エルチムFC(モンゴル)

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