【夢酒場】「もう一人の私」が東北に出没? オニ教師の息子と不思議な出会い

   今から十数年前の出来事だ。知人のバーで飲んでいると、思いがけない電話がかかってきた。「おめえ、こっちさ帰ってたんだべ? 連絡もよこさねえで水くさいなあ」。中学と高校時代の6年間を過ごした東北の友人からの久々の電話だ。戸惑いながら帰ってないと伝えると、けげんそうに電話は切れた。直後、塾で一緒だった子からも電話が来た。「実家がまた大阪にうつったって聞いたから、もうこっちに来ねえと思ってたっけが、仕事で来てたんだってね」

 キツネにつままれたような気分だ。生地大阪から父の転勤で一時期暮らした異郷の地を思い出すことは滅多になかった。「他人のそら似だよ、行く時は連絡するから」「はー、でも、さくらい見た子は、さくらいが東京でがんばってるって言ってたって」。

 バーのマスターが電話のやりとりを聞きながら、「ドッペルゲンガーか」と笑った。

 「私」の目撃場所はその地方では知られた歓楽街。十代の終わり頃、家を抜け出して遊んだエリアだ。知っているだけに落ち着かない。 

イラスト・伊野孝行

 当時の記憶が断片的によみがえる。歓楽街に行く時、きまってポケットの中にしのばせていたものがあった。中学時代の生徒手帳だ。

 全校生徒1000人の中学で、全生徒の名前と顔を暗記している恐ろしい先生がいた。転校生だった私にしつこく声をかけてきた生活指導のオニ教師。オニは朝夕校門に立ち、「部活はどうだ」「こっちは慣れたか」「がんばれよ。なんかあったらすぐ俺に言え」と話しかけて来るのがわずらわしく、そして救いだった。

 オニの口癖は「生徒手帳は肌身離さず持ち歩け」。「町で何かに巻き込まれたら、生徒手帳を出せ。そしたら必ず助けに行く」。この大人を少し信用しようと思った。

 そんなことを思い返しているとマスターが言った。「なんか起こる予兆じゃない?」

 その頃、私は絶不調だった。出版が決まっていたエッセー本が頓挫した。私生活ではひどい失恋をし、腹立ちまぎれに買った新しいかばんは、数日後に置き引きされた。呪いのシーズン。唯一、このバーで洋楽のLPを聴いている時間だけが平和だった。

 貸切ライブがあるという。マスターいわく、「バンドメンバーに君の文章を読んでるって子がいたよ。おいでよ」。それ、本当に私か? もう一人の「私」ではないか?

 ライブ当日、バンドメンバーの一人が「いつも読んでます、超読者です」と私のある連載名を言った。良かった、私だ。「僕、東北出身なんです」と言う彼と話すうちに、何か頭のてっぺんからシュンと花火が打ちあがる感覚があった。

 

イラスト・伊野孝行

 「父親は○○中学の教師。名は○○」。彼は、生活指導のオニのその息子だった。

 信じられない偶然に、スツールからずっこけそうになった。一方で、どこかふに落ちている自分がいた。そうか、私のドッペルゲンガーがオニを呼びに行き、オニが息子の体を借りてがんばれよと伝えに来たんだ……。不思議な感動に包まれる私の横で、「ドッペルゲンガーとかヤバいですよ……。ふつうに怖いです」オニの息子は、完全にあぶない人を見る目で私に言った。

 (エッセイスト・さくらいよしえ)

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