己が己がと言う心

 己、心の2文字を重ねれば、忌になる。詩人の吉野弘さんに「忌」と題する一編がある。〈忌(い)むべきものの第一は/己(おの)が己がと言う心〉。わが身、わが事ばかりにとらわれ、人のことを忘れてはいけない、と▲振り回したのは刃物だけでなく、「己がと言う心」でもあったろう。川崎市多摩区の路上で、男(51)がスクールバスを待っていた児童らを無差別に刃物で襲い、小学6年の女の子と男性(39)が命を落とした。被害者は19人に上る▲男が人の命を何とも思わなかったのは想像に難くない。刃物4本を所持し、計画的にやった可能性がある。亡くなった2人の首の傷は深く、強い殺意がうかがわれる▲男は自分を刺して死亡しており、胸の内は知れない。世の中が嫌になったか、やけになったか、何かに不満を募らせたか。その心持ちがどうであれ、己の心を刃物にして人を無差別に襲う仕業は、身勝手の極みと言うほかない▲命が理不尽にも奪われたことに胸が詰まる。けがをした子どもたちはずっと心のケアを要するだろう。身勝手な仕業が残した傷は深い▲路上で無防備な人たちが襲われる事件が後を絶たない。川崎の事件を受け、登下校時の安全確保が問われているが、命の重さを忘れた刃から身をどう守るべきだろう。理不尽がまた一つ、難問がまた一つ。(徹)

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