「嫌いじゃない場所」という魅力 「翔んで埼玉」の舞台に住む

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(C)2019映画「翔んで埼玉」製作委員会

 早いもので、今年ももう半ば、6月に入ろうとしている。2019年上半期のエンタメ界を振り返ったとき、外せないものの一つは、映画「翔んで埼玉」の健闘という「事件」だろう。徹底的に埼玉県と県民をディスる(けなす)という極めてローカルな内容なのに、2月の公開から10週を超えた5月上旬まで「全国映画動員ランキング}(興行通信社)でトップテン内をキープ、興行収入も30億円を突破した。

 さて、この大ヒットに、一番驚いているのは、当の埼玉県民たちではないだろうか。いや、驚くというより、戸惑っているかもしれない。ちなみに記者は、昨年暮れ、住み慣れた都内からさいたま市に転居したばかりの初心者県民。埼玉に引っ越すことに「え、何でまた、東京から…」とハテナマークをいくつも付けたような表情をしていた友人が、映画の後は「埼玉、いいじゃん」と手のひら返し。どうして?

 今、埼玉が旬らしい。それを裏付けるデータは、映画のヒットだけではない。リクルート住まいカンパニーが2月末に発表した「SUUMO住みたい街ランキング2019関東版」。ネットでのアンケートで選ばれた「住みたい街(駅)」トップスリーは、横浜、恵比寿、吉祥寺。ここまでなら上位常連の街ばかりなので、驚きを持つ人は少ないだろう。問題はこの後である。4位に躍り出たのが大宮(さいたま市、昨年は9位)で、8位には浦和(さいたま市、同10位)と、埼玉勢が快進撃。どちらの街も2年前には、圏外だったのに、である。

 しかし、なぜここまでの人気なのかは、正直、住んでいる側にもよく分からない。そこには、あまりにもごく普通で、ただ当たり前の、のんびりした日常しかないように思うからだ。引っ越してきた当初は、「伸び切った東京」とでも言えばよいのか、都会にも田舎にもなれない不思議な場所という印象を受けた(ちょっとディスってごめんなさい)。郊外ロードサイドならではのボリューム感はある。車で少し街を出れば、ドーン、ドーンと、いくつもの巨大ショッピングセンターに出くわす。定食屋に入れば、出てくるメシの量は東京の3割増しなんてざら(しかも安い、味は分かりやすい)。大体のものや情報が手に入る一方で、しかし、どこか「きらめき」に欠ける。インバウンドなんてどこ吹く風、観光客が押し寄せている印象もなく(秩父など一部地域除く)、最先端のカルチャーを発信するおしゃれスポットがそんなにあるわけでもない。さらにこの地の特殊事情は「埼玉都民」の存在。荒川を越えて上京、都内の職場や学校に通う方が膨大にいる(かく言う私も)。「都道府県出身者による郷土愛ランキング」(ブランド総合研究所)では、15、16年の埼玉県の愛着度ランキングは最下位とのこと。

 ウイークデーの日中はほとんど県内にいないのだから、それもしょうがないか。

 だが、そんな転居当時の印象は、少しずつだが変わった。「伸び切った」がどうも「伸びていく」に見えるのだ。眠らない先進都市東京では薄れてしまった何かが、この地に目立たず、何気なく、ひっそりとあるように感じる。例えば、車がビュンビュン通る道を素早く走って横切ろうと思うとき。緊張を高めて横断歩道で様子をうかがっていると、飛ばしていた車が結構な確率で減速して止まってくれる。歩行者優先なのだから当たり前なのかもしれないが、その当たり前が普通にあることに、ほっとする。

 「翔んで埼玉」にも登場する「埼玉ポーズ」の仕掛け人、鷺谷政明さんの著書「なぜ埼玉県民だけがディスられても平気なのか」に、興味深いことが書いてあった。「埼玉県好きですか?」と聞いて「好きです」と答える県民はあまりいない、と。朝の通勤・通学ラッシュで「満員で苦しいというだけでなく、遅延リスク、痴漢リスクと、毎日小さな戦いを生き抜いて」発散場所を常に探して「許されないぐらいはしゃいでしまう」埼玉県民。そんな彼らは、自分の住む場所を決して嫌いなわけではない、ただ、「好き」とは言わず「嫌いではない」と答えるのだ、と。感覚的によく分かる。肩肘張らず、嫌いじゃない、ぐらいが、ちょうど居心地が良い。4月に人口130万人突破を発表して、これからも伸びていくであろうさいたま市、そして埼玉県、千葉との微妙なライバル関係はあるとはいえ、ずっとマイペースで歩いてくれるといいな。 ところが、よりミクロな「町単位」になると、どうも話が違ってくるようだ。埼玉は「嫌いじゃない」、でも、大宮は「大好き」、浦和は「サイコーだ!」ということになるらしい。「翔んで埼玉」は封切りの週に浦和で見たのだが、地元民の観客たちがひときわ盛り上がっていたのは、大宮の人と浦和の人がもめる場面だ。同じ市内なのに、俺ら浦和には県庁がある、それなら大宮には新幹線があるぞ-、と、マウンティングするような場面はこの数カ月でも何度か見かけた。4月の市議選でも、「市役所は浦和から動かしません!」と訴える候補者もいた。

 住みたい街8位になったとはいえ、浦和さんにとっては大宮の4位は気になるだろうし、大宮君は大宮君で、地元サッカーチーム、アルディージャがJ2、片や浦和レッズがクラス上のJ1という状況に心穏やかではないだろう。大宮VS浦和だけではない、いくつかある埼玉うんちく本を読むと、他にも川口VS鳩ヶ谷など細かいところでの競い合いはあるとか。徹底的にローカルにこだわり、しのぎを削る。その熱さも「嫌いじゃないな」なんて偉そうに分析してまいりましたが、わたくし、とにかく早くいっぱしのサイタマ人になりたい、ただそれだけの、若葉マークの一県民でありました。(田澤穂高・共同通信記者)