法に涙はあるか 健全な市民常識と乖離 強制不妊訴訟

By 佐々木央

仙台地裁の判決後、記者会見する原告の70代女性。手前は60代女性の義姉

「法にも涙はある」

 駆け出しの記者だったころ、新聞の社会面でそんな見出しの記事を読んだ。隣県で起きた事件で、外形的には殺人か傷害致死に問われるべきだったが、加害者の女性に汲むべき深い事情があったとして、地検は立件を見送った。次席検事が起訴しなかった理由を説明する中で、記者たちにその言葉を発したのだった。

 現実の事件は多面的で、法律だけでは割り切れない。わたしの記者生活は、その次席検事の「法にも涙がある」という言葉をかみしめる過程だったように思う。

 ▽だましてでも手術せよ

 旧優生保護法下での強制不妊手術を巡る損害賠償請求訴訟で、仙台地裁は原告の訴えを退けた。これは「法にも涙はある」という言葉と逆の結論ではないか。

 旧優生保護法はひどい法律である。条文を引く。

 第1条 この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。

 後段に母性保護が出てくるが、主眼はあくまでも「不良な子孫」の防止である。「不良な子孫」とはなんだろう。誰がどう判断し、どう実行するのか。法に遺漏はない。

 第2条が示す不良子孫の防止方法は、不妊手術と人工妊娠中絶。第3条は本人の同意を得るケースであり、強制手術は第4条以下に規定される。

 第4条 医師は、診断の結果、別表に掲げる疾患にかかっていることを確認した場合において、その者に対し、その疾患の遺伝を防止するため優生手術を行うことが公益上必要であると認めるときは、前条の同意を得なくとも、都道府県優生保護委員会に優生手術を行うことの適否に関する審査を申請することができる。

 「別表に掲げる疾患」は①遺伝性精神病②遺伝性精神薄弱③強度かつ悪質な遺伝性精神変質症④強度かつ悪質な遺伝性病的性格⑤強度かつ悪質な遺伝性身体疾患⑥強度な遺伝性奇型―に分類され、その下に並ぶ病名は「精神分裂病」「躁鬱病」「真性癲癇」から「遺伝性難聴」「血友病」まで広範だ。

 これらの人たちを「強度かつ悪質」とか「不良な子孫を産む」とレッテルばりしているわけで、その時点で既に、本人とその子どもたちの尊厳を著しく冒涜(ぼうとく)している。手術を正当化する理由は「公益上の必要性」だが、それが何を意味するかは不明だ。

 旧厚生省は旧法制定翌年の1949年、事務次官通知を発出し「身体の拘束、麻酔薬施用、または欺罔(ぎもう)等の手段を用いることも許される場合がある」と容認、奨励した。人を人とも思わない通知というしかない。縛られ、麻酔を使われ、だまされて手術を受けた人たちがいたのだ。

 仙台地裁は判決で「子を望む者の幸福を一方的に奪い去り、個人の尊厳を踏みにじる。誠に悲惨というほかない」「手術を受けた者は生きがいを失い、生涯にわたり救いなく心身共に苦痛を被り続ける」と述べたが、肝心の損害賠償請求は退けた。

 その理由をつづめて言えば①請求権が消滅する「除斥期間」が経過した②救済のためには特別立法が必要だったが、当時はこの問題についての議論の蓄積がなかったので、国会が動かなかったことには違法性がない―というのだ。

 ①の除斥期間とは何か。「除斥」を辞書で引くと「よくないもの、不要なものなどをとりのけること」とあり、偶然ではあろうが、優生思想との符号に驚く。原告たちは裁判からも排除されたのだ。

 ▽冷たい判決を書く法匪

 民法724条は不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を20年と定める。不法行為から20年たつと請求権は消えるのだ。

 旧優生保護法が有効だったのは1996年までだから、旧法下の手術はすべて除斥期間を過ぎ、賠償が認められないことになる。これは果たして被害者にとって、そして、わたしたち市民にとって、納得のいく結論であろうか。

 例えば若き日、何も知らされずに不妊手術を強制された被害者に対して、国は圧倒的に強い立場にあり続けている。ただでさえ病気や障害に苦しむ少数者を愚弄する制度を牛耳り、健康面でも社会生活においても、苦難の人生を強いた。同様の制度を持ちながら救済措置を設けた他国の例を含め、多くの情報を握っていたはずだが、放置した。

 そのような国が「当時は議論の蓄積がなかった」などと弁解し、「除斥期間」の中に逃げ込むことは許されるだろうか。

 法の解釈と運用は、最終的に社会の健全な常識と一致しなくてはならない。法律の初歩でそう学んだ。そうでなければ、その解釈や運用が間違っているのだと。

 「法匪(ほうひ)」という言葉がある。辞書は「法律を絶対視して人を損なう役人や法律家をののしっていう語」と説明する。であれば、今回の訴訟の裁判官や国の代理人たちは「法匪」と評価されても仕方がないだろう。

 裁判長の経歴を見ると、とても優秀な方のようだ。両陪席は女性である。その3人が強制不妊手術を受けた女性に対して、このような冷たい判決を書いた。3人の間で葛藤はなかったのか。救済するか、しないか。本当は紙一重の判断だったと思う。

 民法724条の除斥期間は、これまでもしばしば問題になってきた。そして、予防接種禍訴訟やじん肺訴訟、水俣病の訴訟において最高裁は、不法行為から20年経過後の請求も認めてきた。それぞれの複雑な法理論を説明する力はないが、被害者を救済するべきだという意志がまずあって、そのために難しい法理論を駆使したように思われる。

 いま、裁判員裁判制度10年を迎え、刑事裁判がいかに良くなったかを強調する報道が目立つ(わたしはそれに同意しないが)。だが、このような国や大企業を相手にした少数者・市民の訴訟にこそ、民意を入れてほしい。健全な市民の常識はきっと「法にも涙がある」と思える結論を導くはずだから。 (47ニュース編集部・共同通信編集委員佐々木央)

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