市民、学生を武力で弾圧 中国の「あの日」 天安門事件30年 写真特集(1)

1989年、学生を中心とした中国の民主化運動は激しさを増していく。写真は「天安門事件」1カ月前の北京・天安門での学生デモ(共同)

 目前に迫る戦車の列に、一人立ちはだかり、前進を阻止しようと両手を広げる男性。30年前のあの映像は今でも心に焼き付いている。1989年6月4日の中国で学生や市民の民主化要求運動を武力で弾圧した「天安門事件」。直後のワンシーンだ。中国当局は死者数を「319人」としているが、正確な数字は今も分からない。当時、報じられた写真をまとめた。(構成 共同通信=柴田友明)

100万人規模のデモ、民主化を求める学生たちのハンスト

左は1989年5月17日、デモが労働者、市民に広がり100万人規模に。北京の目抜き通り長安街を埋める学生、市民(共同)右は1989年5月13日、民主化と政府との対話を求め、天安門広場でハンスト決行中の学生(共同)

デモ行進する市民

1989年5月18日、早朝からトラックに乗って長安街をデモ行進する労働者(共同)

学生のハンスト中止を訴える指導者

1989年5月19日朝、天安門広場を訪れ、バスの中で学生たちのハンスト中止を訴える趙紫陽総書記(ロイター=共同)、肩書は当時

装甲車の前に横たわる市民

1989年5月21日、進行を阻止された装甲車のキャタピラの前で横たわる市民=北京市内(共同)

天安門広場に建てられた女神

1989年5月末、天安門広場に建てられた自由民主の“女神”。市民や座り込みの学生で埋め尽くされた(左は共同、右はロイター=共同)

炎上する装甲車

1989年6月4日午前1時すぎ、学生、市民の阻止行動に遭い、炎上する装甲兵員輸送車=北京市長安街六部口交差点(共同)

戦車の前に立ちはだかる男性

1989年6月5日、天安門広場に近い長安街で、戦車の列に一人で立ちはだかり、前進を阻止しようとする男性(左下)。その後戦車は向きを変えた(ロイター=共同)

警備する兵士

1989年6月10日、天安門広場の正面に掲げられている毛沢東肖像の前で警備する兵士と戦車(ロイター=共同)

天安門事件 中国で1989年4月に死去した改革派指導者、胡耀邦元共産党総書記の追悼を機に起きた学生や市民の民主化要求運動を当局が武力で弾圧した事件。当局は死者数を319人としているが、正確な数は不明。党内の保守派主導で北京に戒厳令が出され、軍が6月3日夜に制圧を開始、4日未明に中心部の天安門広場に突入し鎮圧した。学生たちに理解を示した趙紫陽党総書記(当時)は事件後失脚。当局は事件を「政治風波(騒ぎ)」と位置付け、弾圧を正当化している。

30年後、かつての学生指導者は

日本外国特派員協会で記者会見する王丹氏=2019年5月29日、東京・丸の内

 事件で弾圧された中国民主化運動の学生リーダーだった王丹氏(50)は5月29日、日本外国特派員協会で会見。天安門事件について「人間としての尊厳を守るためにも語り継いでいく」と決意を述べた。

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