「伏見市」あったの知ってますか? 昭和初期に2年だけ存在

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住所表記に「伏見市」と記された仁丹の町名表示板

 昭和の初め、現在の京都市伏見区の中心市街地は市制を敷いたが2年足らずで姿を消した。発足90年の節目、ごくわずかに現存する伏見市の「遺産」を歩いてたどると、独立した都市として歩もうとした先人の誇りと気概を感じた。

 観光の十石舟が行き交い、酒蔵とヤナギが風情を醸す宇治川派流。蓬莱橋南岸(同区東柳町)に高さ3メートルほどの石碑がそびえる。「御大典記念埋立工事竣工(しゅんこう)記念碑」の銘の脇に、初代にして最後の市長中野種一郎の名が刻まれている。工事は昭和天皇の即位式が京都で行われた1928年11月(当時は伏見町)に着工、29年5月の市発足を挟んで30年3月に完成した。

 「京伏合併記念伏見市誌」(35年刊)には「新興都市の面目を発揮すべく」実施された事業の筆頭にあげられている。プライドをかけたことを象徴するように護岸には市章をあしらった装飾が施されている。こけむして時の流れを実感させる。

 伏見大手筋商店街から新町通を北に入ったビルには、レトロな「仁丹」町名表示板が残る。「新町五丁目」の町名表示には「伏見市」の文字が記されている。

 オーナー山下訓(じゅん)さん(66)によると、約40年前に同じ町内で解体された民家から父が譲り受けたという。

 「失われるのはもったいないと思ったらしい。今も足を止めて見ていく方もいます」

 愛好者による「京都仁丹樂會(がっかい)」によると、町名表示板の存在を確認しているのは京都市や大津市などいずれも府県庁所在地で、立花滋会長(81)は「伏見が都市として認められていた証しともいえる」とする。

 伏見市の足跡を示すどちらの遺産も存続の危機にある。護岸の装飾は紋様がはっきりしなくなったものも多い。町名表示板も建物の建て替えや盗難で数を減らした。

 市民団体「伏見歴史同好会」のふしみこたろう事務局長(57)は「短い間でも市であったことは、独立した都市のアイデンティティーを保つうえで意味があった。今も残るその遺産も大切にしてほしい」と話す。