【明治維新鴻業の発祥地、山口 今年は大村益次郎遭難から150年】 No.178

▲皇居正門石橋(東京都千代田区)

(5月29日付・松前了嗣さん寄稿の続き)

魚釣り

 その頃、長州軍の第一大隊、第四大隊の隊士ら725人は、江戸城桜田門の近くにあった米沢藩上杉家江戸藩邸に滞在していた。

 そこで腹を空かせた隊士らが目を付けたのが、濠に泳ぐコイやフナであった。魚は、血気盛んな隊士らにとって絶好の栄養源である。そこに彼らは群がった。
 この光景を見た益次郎は、司令・有地品之允を呼び付け厳重に注意したという。だが、その後も隊士らは益次郎の目を盗み、夜釣りに興じたようである。

開戦前

 5月14日夜、大総督府の参謀は、諸藩に次のような命令を下した。

 「いよいよ明十五日朝三字(時)まで、大下馬へ相揃うべき事―」
 15日、この日は大雨となった。旧暦の5月半ばは、現在でいうと梅雨の時期にあたる。当時、江戸では、1日から雨が降り続いていた。

 江戸城大下馬には、午前1時頃より諸藩の兵が続々と集まって来た。2時頃には、三条実美や岩倉具視も姿を現した。

 大総督府の参謀である益次郎らは、続々と到着する諸藩の参謀を呼び、作戦を伝えた。

(続く。次回は6月12日付に掲載します)

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