「物申す口」は

 長崎の被爆歌人、故竹山広さんは嘆きを込めて詠んだ。〈ある者は軍の非道を語りしと捕(とら)へられき戦時下の日本のごと〉。「ある者」とは北京市民だろう。歌には「天安門」と詞書(ことばがき)がある▲民主化を望む学生や市民の声を、中国軍の装甲車と銃が抑え込んだ「天安門事件」から30年たった。物申す国民の口を封じた国は変わったろうか▲中国共産党の機関紙、人民日報系のメディアは3日、事件についてこう報じた。時の指導部が「デモの混乱を抑え込んだことで、旧ソ連のような体制崩壊を防ぎ、世界第2位の経済大国になることができた」と▲市民らの「暴乱」だったという見方を、中国政府はまるで変えていない。天安門広場ではきのう、犠牲者を悼む声も、抗議の声も発せられないように厳戒態勢が敷かれた▲中国メディアは事件のことを何一つ伝えず、ネットで検索もできない。事件自体、知らない若者も多いという。知らなければ語ることもない。経済成長で「食べる口」は肥えたとしても「物申す口」はいまだ押さえられている▲同じ詞書で、竹山さんに「事件後」の一首がある。〈かの夜より一週をすぎ広き路上声なく走る自転車のむれ〉。1週間どころか30年、国民は“声なき民”であれ、とされてきた。物申す口を認めない大国の行く先は見定めようもない。(徹)

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