【1989(平成元)年、アントニオ猪木議員の誕生】
無所属で国民民主党会派の参院議員、アントニオ猪木氏(76)が6月7日、国会内で各社の取材に応じて夏の参院選に立候補しないことを明らかにした。「そのつもりはない」「もうよぼよぼだ」。その理由を高齢のためとした。一方で、議員バッジをはめようがはめまいが、日本と北朝鮮との関係改善に貢献したいとの意向も述べた。「燃える闘魂」はどこに? 通算2期12年、アントニオ猪木氏の政治家としての軌跡を写真で振り返った。(共同通信=柴田友明)
※肩書、所属、団体名、表記は撮影当時です。
【1990年9月 湾岸戦争前、イラクの邦人人質問題】
すでに6日付のスポーツ紙には「不出馬」を激白。今年2月に国民の会派入りの際にも、参院選出馬の可否について「一寸先は闇ではなく、ハプニング!」とも答えていた。
猪木氏は1989年の参院選でスポーツ平和党(当時)から立候補して初当選、1期務めた後に落選。2013年の参院選で日本維新の会から比例区に出馬して再選、政界復帰して現在は無所属として活動を続けてきた。さまざまな局面、場面で〝時の人〟だった。
【1990年12月 イラクの邦人人質解放決まる】
【1991年 都知事選の出馬を断念】
【1992年 スポーツ平和党2人目の議員】
【2012年 福岡市長に闘魂注入】
【2012年 訪朝】
【2013年 再び参院選出馬へ】
【2013年 訪朝後の記者会見】
【2016年 ムハマド・アリ氏との対戦から40年】
【2018年 なぜ俺使わない】
【2019年 新たに会派入り】