〝燃える闘魂〟の行方 参院選「不出馬」  アントニオ猪木氏

記者団の取材に応じるアントニオ猪木参院議員(左)=2019年6月7日、国会 参院本会議に臨むアントニオ猪木参院議員(右)=2019年6月5日

1989(平成元)年、アントニオ猪木議員の誕生

左は出陣式で気勢を上げるスポーツ平和党=1989年7月5日、東京・芝公園(アントニオ猪木氏、馳浩氏(前) 右は当選を果たし、ガッツポーズするスアントニオ猪木氏=1989年7月24日、東京・芝公園のスポーツ平和党事務所

 無所属で国民民主党会派の参院議員、アントニオ猪木氏(76)が6月7日、国会内で各社の取材に応じて夏の参院選に立候補しないことを明らかにした。「そのつもりはない」「もうよぼよぼだ」。その理由を高齢のためとした。一方で、議員バッジをはめようがはめまいが、日本と北朝鮮との関係改善に貢献したいとの意向も述べた。「燃える闘魂」はどこに? 通算2期12年、アントニオ猪木氏の政治家としての軌跡を写真で振り返った。(共同通信=柴田友明)

 ※肩書、所属、団体名、表記は撮影当時です。

1990年9月 湾岸戦争前、イラクの邦人人質問題

イラク入国のため、ヨルダンのアンマン国際空港に到着したアントニオ猪木参院議員=1990年9月17日(共同)

 すでに6日付のスポーツ紙には「不出馬」を激白。今年2月に国民の会派入りの際にも、参院選出馬の可否について「一寸先は闇ではなく、ハプニング!」とも答えていた。

 猪木氏は1989年の参院選でスポーツ平和党(当時)から立候補して初当選、1期務めた後に落選。2013年の参院選で日本維新の会から比例区に出馬して再選、政界復帰して現在は無所属として活動を続けてきた。さまざまな局面、場面で〝時の人〟だった。

1990年12月 イラクの邦人人質解放決まる

解放が決まり、猪木議員(中央)を囲んでガッツポーズの人質と家族=1990年12月6日、バグダッドのマンスルーメリアホテル(共同)

1991年 都知事選の出馬を断念

記者会見で東京都知事選の出馬断念を表明するアントニオ猪木氏=1991年3月12日、参院議員会館

1992年 スポーツ平和党2人目の議員

ガッツポーズで当選を喜ぶスポーツ平和党代表のアントニオ猪木氏(右)と江本孟紀氏=1992年7月26日、東京・渋谷の選挙事務所

2012年 福岡市長に闘魂注入

アントニオ猪木氏(右)から、飲酒運転撲滅運動への活として平手打ちをもらう福岡市の高島宗一郎市長=2012年2月6日、福岡市役所

2012年 訪朝

アントニオ猪木氏(左)と会談した北朝鮮の金永日朝鮮労働党書記=2012年4月15日、平壌市内(提供写真) 

2013年 再び参院選出馬へ

参院選出馬表明の記者会見に臨むアントニオ猪木氏(右)と、笑顔を見せる日本維新の会の石原共同代表=2013年6月5日、国会

2013年 訪朝後の記者会見

北朝鮮から帰国し、記者の質問に答えるアントニオ猪木参院議員=2013年7月30日夜、羽田空港

2016年 ムハマド・アリ氏との対戦から40年

ムハマド・アリと格闘技世界一決定戦と銘打って闘った試合から40年となり、記者会見したアントニオ猪木さん=2016年5月16日、東京都中央区

2018年 なぜ俺使わない

猪木氏「なぜ俺使わない」 北朝鮮から経由地の北京国際空港に到着し、記者の質問に答えるアントニオ猪木参院議員=2018年9月11日(共同)

2019年 新たに会派入り

国民民主党会派入りを表明し、同党の玉木代表(左)、自由党の小沢共同代表(右)と握手するアントニオ猪木参院議員=2019年2月21日、東京都内

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