相撲が盛んな町 その理由は魚吹八幡神社?

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稽古に励む網干相撲教室の子どもたち=姫路市網干区新在家

 カメラを手に兵庫県姫路市網干区を散策していると、小さな神社の境内で土俵を見つけた。ほかの場所にも…。地元の人に聞いてみると、網干では昔から相撲が盛んらしい。「漁師が体力自慢でやっとったんちゃうか」「秋祭りの影響でまわし姿に抵抗がないんやろ」-。やんわりとした持論が飛び交う。本当にそんな理由? 市南東部の灘地域と並んで親しまれてきたという網干の相撲。理由を探った。(谷川直生)

 網干区新在家にある網干神社。子どもたちの掛け声が響く。週3日の網干相撲教室。小学生が境内の土俵で稽古に励んでいる。

 1993年、子供会の相撲大会を通じて「本格的にやりたい」と望む子どもを集めたのが始まりだ。

 稽古の様子を眺めた。小柄な小学生が頭突きをぶちかます。当たり所が悪くて涙を浮かべたり、土俵下に落ちて泣いたりする子も。しかし皆、すぐに土俵に上がり、さらに力が入った表情でぶつかり合った。

 創設当初から指導する神崎又良さん(69)は「土俵では自分で何とかするしかない。どの子もたくましくなって巣立っていく」。

 OBの姿もあった。「そんなんで強くなれるか!」「もっと気合入れろ」。厳しくも温かく鼓舞する。

 旭陽小6年の男児(12)は「稽古はしんどいけど、勝つとうれしい。自信も湧く」と打ち込む理由を教えてくれた。

 この熱気はどこからくるのか。市相撲連盟の辻浩昭理事長(58)=同区=に聞くと、教えてくれた。

 かつて網干は小中学校が1校ずつあったが、戦後に子どもが増え、1975年に網干小に加えて網干西小が誕生。「同じ中学に入る2校の児童。入学前から仲良くできるよう、自治会を中心に相撲を浸透させた」

 後押しもあった。市は2002年、県内で唯一、観覧席がある「網干南公園相撲場」を整備。芦屋市出身の大関・貴景勝(本名・佐藤貴信)は中学時代、ここで全国制覇を果たした。

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 さらに疑問が湧いた。なぜ他の競技ではなく、相撲だったのか-。歴史に詳しい市立琴丘高校の宇那木隆司校長(60)を訪ねた。

 隣のたつの市に眠るとされる「相撲の元祖」野見宿禰に由来する-という地元住民の説を伝えると、「網干もたつのも揖保川流域の文化。可能性はある」としつつ「詳細は不明」。

 そして、こう説明した。「網干の相撲は魚吹八幡神社(網干区宮内)と関連が深い。魚吹は京都の石清水八幡宮の別宮。石清水では昔から奉納神事に相撲があり、魚吹でも千年以上前から祭礼で奉納されていた」

 境内にある「魚吹八幡神社祭礼図」(1840年)の写真を見せてもらった。屋台や神輿を差し置き、力士の取組に人だかりができる様子が描かれていた。

 「相撲は江戸時代に興行が始まって以降も庶民に人気で、力士は健康で生活力がある男の象徴でした」と魚吹八幡の澤弘隆宮司(72)。境内に昭和末期まであった土俵では毎年、小学生の選抜大会を開催。児童にとって「甲子園」のような存在だった。

 網干界わいには、江戸・明治期に活躍した力士をまつる「力士墓」が至る所に残る。澤宮司は穏やかに言った。「文化は、豊かで余裕がある気持ちと、教養、礼儀があってこそ成り立つものではないか」

 古くから栄え、子どもたちに寄り添う大人の優しさがある網干。それが、相撲への盛り上がりを育んだ理由のような気がした。