「まだ夢に出る」清原のアーチ KKに敗れた男、大阪工業大総監督が全日本出場で叶える夢

大阪工業大学の栃岡清人総監督【写真:編集部】

66年ぶりに近畿学生野球リーグ優勝し全国切符、初戦は10日に創価大と対戦

 近畿学生野球リーグを66年ぶりに制し、6月10日から始まる全日本大学野球選手権に出場する大阪工業大学。栃岡清人総監督は、2014年に就任した同校OBの田中恵三監督とともにチームを支えている。大阪の強豪・東海大仰星の1期生として、1985年の高校3年生の夏に大阪府大会で準優勝。決勝では桑田真澄、清原和博のいたPL学園と対戦し、0-17で敗戦した。あの時、叶わなかった全国の舞台へ、足を踏み入れる。

 夢にまで見た瞬間だった。5月11日に神戸大に4-3で勝利し、記録的ブランクとも言える66年ぶりのリーグ優勝を教え子たちが決めた。初めての全日本大学選手権出場の切符を手に入れた。2014年から田中監督と二人三脚で歩を進めてきた栃岡総監督は万感の思いで選手たちの喜ぶ姿を見つめていた。

 前監督の退任により、大学職員だった栃岡氏と田中氏がそれぞれ総監督と監督に就任。現場を重点的に見るのが田中監督。雨天練習場が完備された「OITスタジアム」を作るなどの施設面、関西の有望な選手をスカウトしたりする戦力面の強化、さらに引退した選手の就職先を見つけるなど、監督、チームのバックアップが栃岡氏の役割だった。

 就任最初のリーグ戦となった2014年秋は2部でいきなり優勝。15年春からは3季連続でリーグ2位と安定した力を見せてきた。甲子園に出場した選手も集まるようにもなった。66年の間、3部も経験した。廃部危機に陥ったこともあったチームがここ5年で大きな成長を遂げた。

「チーム打率が低い中、リーグ戦は9試合中6試合が1点差で勝ちました。2試合くらいは1点差で負けたのもあります。それだけ接戦ができたのは、粘り、諦めない姿勢が徐々に出てきたからと思います。点を取られて“シュン”と下を向いてしまうようなメンタル的な部分は、なくなりましたね」

 就任当初の2部の時から全国大会で戦うという意識付けも行ってきた。上を目指す強い気持ちが根付いてきての優勝だった。特に歴代の主将には目配り、気配りを徹底させてきた。

「(主将が)チームの状態をどういう風に感じているか。そこからチームの方向性を導き出しています。これまでの主将はなぜか(主将を任せるとリーグ戦で)打てなくなってしまうことが多いんです(笑)。結果が出ていない時の主将には『自分の成績以上にチームを鼓舞すること考えなさい』と言いますね。自分ががっかりしているとチームに伝わりますから」

 主将への思いを語る栃岡総監督は、34年前の自分を重ねていた。

1985年夏大阪府大会決勝・PL学園戦で「1番・中堅」で出場、清原の本塁打に「一歩も動けず」

 1985年夏。高校3年生の栃岡総監督は東海大仰星の「1番・センター」で主将だった。大阪府大会を決勝まで勝ち上がった。相手は後に全国制覇をするPL学園。エース・桑田、4番・清原のKKコンビに立ち向かったが、歯が立たなかった。桑田は完封、清原は2本塁打。栃岡総監督はこの試合、4打席立ち無安打1四球。桑田の前に2三振だった。今では良き思い出として残り、この経験が指導者生活にも生きているという。

「(KKコンビは)ケタ違いでしたね。(桑田は)特に真っ直ぐよりもカーブが上に浮いて、落ちてくる印象。とてもじゃないけど打てると思わなかったですし、(清原の本塁打は)私はセンターを守っていましたから、当時の日生球場で打った瞬間にボールを見上げて、一歩も動けなかったです。すごいなと思いました。いまだに夢でたまに出てきますね」

「あの代のPL学園はどのメンバーもその後、活躍していたので、自分も頑張らないといけないなという思いがありました。ありがたかったです」

 栃岡総監督は、決勝戦だけでなくこの夏の大会で無安打に終わっていた。大会直前の練習試合でサイクル安打をマークするなど直近2試合で9打数9安打と絶好調だった。

「その後、何だか魂が抜けてしまったみたいというか、力が入らないというか、地に足がつかない。ふわっとした感じになったのを覚えていますね。これで終わってしまうのかな、と記憶しています。高校3年生という未熟な時ですから、打てなかったらどうしようと思って、『ああ、打てなかった……』という気持ちの繰り返しで決勝を迎えていました」

 気持ちの立て直しができないまま、最後の夏を終えた。忘れられない青春の1ページだった。

 だからこそ、主将の立ち振る舞いの大切さを伝えたい――。

「キャプテンをやっていて、変な緊張があったのだと思います。個人的にチームに貢献できなかったので、今の(大阪工業大の)主将にも打てない時、気持ちの面を整理し、チームに何か貢献させたい、してほしいと思っています。そういうところは高校時代の教訓として残っていますね」

 大阪工業大の4年生は春の大会で他の大学とは異なり、ひと足早く、引退となる。秋は就職活動を優先させるため、社会人で野球を続ける選手以外はここでいったん区切りをつける。ナインは10日に初の全国の舞台となる全日本大学野球選手権・創価大戦を迎える。

「最初は楽しんでもらいたいという思いはありましたけど、やるからには勝ちにいこう。4年生は最後になるので、その思いを大会にぶつけてほしいですね」

 ベンチに入る予定の栃岡総監督にとっても、夢にまで見た全国大会。高校3年の夏、あと一歩のところで届かなかった舞台だ。

「やっぱり、うれしいですよ。少年に戻った気持ちでワクワクしていますし、どうやってこの子らの持っている力を発揮させてあげられるか。悩みも期待もあります」

 力を発揮できずに、肩を落としてグラウンドに背を向けたあの夏から34年。学生たちの晴れ舞台は、一人の男の夢が叶う瞬間でもある。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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