中日京田、屈辱の開幕スタメン落ちから学んだ“アライバ”の教えとは

中日・京田陽太【写真:荒川祐史】

プロ3年目で初の開幕スタメン落ちも復調気配「この経験がプラスだったと思えるように」

 2017年の新人王が、真のレギュラーへの脱皮を迫られている。今季、プロ3年目にして初めて開幕スタメン落ちを経験した中日の京田陽太内野手。成績に多少目を瞑って起用してもらった2年目までとは違い、与田剛監督のもと再出発を切った新生ドラゴンズで居場所をつかめない状況が続く。主力としての自覚と向き合いながら、課題の出塁率にも活路を見出そうとしている。

 開幕戦の1週間前。帰宅して愛妻の顔を見ると、つい弱音が出た。

「張り詰めていた糸が切れそう……」

 スポーツ紙の記事には、軒並み「懲罰」の言葉が並んだ。3月20日、ナゴヤドームでのオリックスとのオープン戦で、わずか4回で途中交代させられた。「気は抜けていなかった」と言うが、明らかな凡ミスが続いたのも確かだった。緩慢な走塁、中継プレー、打席でのあっけない三振……。翌日からの4試合中3試合でベンチスタートを命じられた。今季から新たに背番号1を身にまとった自負は、いとも簡単に崩れ落ちた。

 今までが「特別」だったのは分かっていた。無我夢中で球団新人新記録の149安打を積み上げたルーキーイヤーから一転、2年目は打率.235まで下降。それでも当時の森繁和監督(現SD)から「ダメでもお前を使い続けるからな」と言ってもらい、全143試合に出場した。だから失敗しても「絶対に次は取り返す」と前のめりの姿勢を貫けた。

 この2年間の経験を昇華させ、名実ともに不動の遊撃手になることが宿命づけられた3年目。大物ルーキー根尾昂の入団に「内心ビビっていました」と笑って振り返るが、いざ同じグラウンドに立つと自信は増した。そんな環境が慢心を生んだのか――。京田は首を横に振るが、そう見る周囲の目もあった。

 ベンチを温める屈辱は、想像した以上に堪えた。「自分が悪いのは分かっているけど、とにかく悔しかった」。日によっては起用されたものの、空回りが続く。家に帰っても悶々とした気持ちのまま過ごす。明らかにふさぎ込む夫の姿に、妻の葉月さんは「頑張ってる人に頑張れとは言えないし」と心配を募らせた。

シーズン序盤は空回り、どうしても克服しなければいけなかった課題は「勇気を持ってストライクを見逃すこと」

 悪循環に陥った京田は、すがる思いで1通のメールを打った。「何もうまくいかないときはどうしたらいいですか?」。相手は師匠のような存在。入団から2年間、二遊間を組んでいろはを教えてくれた荒木雅博・現2軍内野守備走塁コーチから、諭すようなメッセージが届いた。

「京田が今年で終わるかもしれない選手であれば、何かを変えなければいけないけど、そんな選手じゃない。今だけを上手くいくようにごまかす事は、将来の野球人生の為にはならないと思うよ。将来の自分の為だと思い、全て受け入れ、今取り組んでいる事を続ける事ができれば弱いチームのレギュラーではなく、強いチームのレギュラーになれるよ」

 若手時代に苦労を重ね、不動の二塁手として竜の黄金期を支えた名球会員の言葉は重かった。今取り組んでいる事を愚直に続けること――。京田は今季、どうしても克服しなければいけない課題と向き合ってた。

 1年目は18、2年目は19。いずれもチームで規定に達した打者の中では最も少ない四球数だった。俊足を生かすには塁に出なければ始まらないが「どうしてもヒット、ヒットと打ちたくて仕方なかった」と早打ちに走った過去2年の反省があった。

「勇気を持ってストライクを見逃すことも大事」

 解決につながるきっかけをくれたのが、くしくも現役時代の荒木コーチとともに鉄壁の二遊間を誇った前巨人コーチの井端弘和さんだった。メディアを通して伝わってきた言葉を、何度も反芻して胸に刻み込んだ。

 打てそうな球に闇雲にバットを出すのではなく、追い込まれることを恐れない。投手の攻め方を思い描きながら、球を見極める。すると、今季は56試合消化した6月7日の時点で、すでに四球数は15。過去2年間2割台だった出塁率も優に3割を超えている。まだ満足のいく数字には遠いが、「フルカウントから甘い球が来ることも多い」との発見もあった。

 偶然にも重なった「アライバ」からの精神的、技術的な道標。開幕直後の思い詰めた表情の京田はもういない。1軍首脳陣に姿勢で示し、あとは数字で納得させるだけ。まだ80試合以上を残し、取り返す時間は十分にある。「この経験がシーズン終わった時にプラスだったと思えるように」。夏、そして秋を迎えるころには、遊撃の座に堂々と君臨してみせる。(小西亮 / Ryo Konishi)

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