化粧の時間旅行(7) 「令和」由来の『万葉集』、ひろがる化粧の情景

2019年5月1日、「令和」の時代がはじまりました。新元号「令和」の由来は、現存する日本最古の歌集である『万葉集』。730(天平2)年、大宰府の長官であった大伴旅人が自宅で梅花の宴をひらきました。そこでよまれた和歌の前に置かれた序文「初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」を典拠としています。

『曼朱院本 萬葉集』部分、京都大学附属図書館所蔵 https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/

「令和」が新元号として発表されて以来、脚光を浴びているこの一節、実は化粧に関する情景が含まれています。「梅は鏡前の粉を披き」は、梅が鏡の前の白粉のように白く咲いているという意味。『万葉集』の中で、梅は萩についで登場回数が多い人気の花です。輝くような白い梅の花を白粉(おしろい)に例える表現からは、化粧からひろがる美しさの文化が感じられます。

『万葉集』の時代にもあった白粉。日本国内では、古くから白粉は貝殻や米の粉などを原料にしたものがつくられてきました。しかし、梅花の宴より約40年前の692年、奈良にある元興寺の観成(かんじょう)という僧が、大陸で使われていた鉛白粉をつくり、女帝である持統天皇に献上したことが『日本書紀』に記されています。これが最も古い国産の鉛白粉の記録です。

肌へのツキもノビも良いといわれている鉛白粉。大量に製造されるのはもっと後の時代ですが、国産の鉛白粉の登場は化粧の歴史における画期的なことでした。もしかしたら、「梅は鏡前の粉を披き」の白粉は、国産の鉛白粉をイメージしていたのかもしれません。

多くの人々に愛好された梅の花に例えられる白粉。その白粉をつくっていた万葉びとたちに、令和の時代から想いを馳せてみてはいかがでしょうか。

(川上博子・ポーラ文化研究所 研究員)

参考文献

高木市之助[ほか]校注『日本古典文学大系 万葉集 二』岩波書店、1959

中西進著『萬葉集 全訳注原文付』講談社、1984

ポーラ文化研究所は、化粧を美しさの文化として捉え、学術的に探求することを目的として1976年に設立されました。以来、日本と西洋を中心に、古代から現代までの化粧文化に関わる資料の収集と調査研究を行い、ホームページや出版物、調査レポート、展覧会などのかたちで情報発信しています。
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