天安門後、「かき消された声」届けたい

 日本で活動する中国人作家 劉燕子さん

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劉燕子さん

 中国の天安門事件から30年がたった。「人民解放軍」が守るはずの「人民」を銃と戦車で弾圧したこの事件後、政権批判や改革を求める国内の声を、中国共産党は徹底して封じ込めてきた。中国でかき消されてきた人々の主張や活動を本にまとめ、日本で紹介している研究者の一人で、大阪在住の中国人作家劉燕子(リュウ・イェンズ)さん(53)に事件30年に際し、話を聴いた。(共同通信)

 ▽缶バッジを作っただけで捕まる!

 何かのイベントやキャンペーンで記念品として配っていそうな缶バッジを見せてくれながら、燕子さんは「これを作っただけで中国では捕まるんです」と憤る。缶バッジには、広げた手とハートの絵、「権利」「尊厳」「人はみな生まれながらに平等」と中国語で書かれている。

 天安門事件につながった民主化運動の元指導者で、ノーベル平和賞受賞者の劉暁波(りゅう・ぎょうは)さんが2017年夏、当局の拘束下に置かれたまま事実上獄中死した。「いきなり病気だという話が出てきて、ほんとかな、とみんなで思っていたら突然亡くなっちゃった。元気で鉄の塊みたいな人だったのに…」と振り返る。

 缶バッジは、中国で暁波さんを追悼する小さな集いを開こうとした人が、その集まりで配ろうとして作ったものだという。通信アプリ「微信(ウェイシン)」上で集会の告知をしたことから拘束され、集まりは頓挫した。海外のニュースに取り上げられるような有名な人権派弁護士や活動家だけでなく、そうした一般の人々も近年、相次いで拘束されていると燕子さんは訴える。

 「『民主』も『自由』も日本では空気みたいな当たり前の存在です。目に見えないが欠かせない、人として当たり前のもの。でも中国にはそれすら存在しない」。中国で、その「当たり前」を求める声は少数派だと燕子さんは言う。「周囲の騒がしさにかき消され『声に出せない歴史』『目に見えない歴史』にされてしまうのです」

 ▽中国の人々は壁の中で飼いならされている

 普通選挙を求めたり民主化を叫んだりすることは、政権にとっての越えてはならない一線だ。それにさえ近づかなければ、昔はなかった職業選択や海外渡航の自由を享受できる。実際、生活もずっと豊かになった。体制改革を望む人々の目に希望の光と映ったインターネットの登場も、現実には情報統制の「壁」をさらに強固にしただけだった―。

 燕子さんはそんな風に現状を分析する。「中国のネット人口はあれだけ多いのに、天安門事件も暁波の受賞なども完全に隠されている。日本に来る留学生は事件があったことすら知らない。中国の人々は壁の中に慣れ、政権に飼いならされている」と指摘する。

 ただ、少数派なのだとしても、声を上げる人々は存在する。08年、暁波さんら活動家がネット上で、一党独裁体制の廃止などを求める文章「〇八憲章」を発表した。天安門事件後の民主化運動の中で、重要な出来事だ。理念に賛同し、発表時に署名した303人のうち三十数人から、燕子さんは直接体験を聞き取った。その後、憲章への署名は1万人を超えた。

 「たった署名一つで、みんな人生が変わってしまっていた。相当の勇気が必要な行為だったんです。当局から圧力をかけられ、嫌がらせを受け…。でも一人も後悔している人はいませんでした。彼らにとって、署名は永遠の誇りです」

 燕子さんは、長年の友人である作家の余傑(よ・けつ)さんから、まだ暁波さんが健在だった11年夏に伝記「劉暁波伝」の初稿を託された。そしてその翻訳・編集を手掛け、昨年、日本で出版した。当局から繰り返し弾圧を受け、12年に米国への亡命を余儀なくされた余傑さんのことを「この本を書くために命を懸けたようなもの」だと言う。

 民主派作家の論文や著書の編訳に加え、亡命チベット人や暁波さんの妻劉霞(りゅう・か)さんらの詩など、文学作品の翻訳も続けてきた。このほど、〇八憲章を読み解きながら中国語学習者が語学や近代史を学べるテキストも出版した。

 「日本でこれらの本を出す意味はあるのかな、と悩みながらも、一生懸命やってきました」。流ちょうに話せても、日本語を母語とする人よりは読み書きに時間がかかる。大学で教壇に立つ傍ら、翻訳や編集を進めてきた。「本もそんなには売れないし、ボランティアみたいなもの」だと笑う。

劉暁波氏(右)と劉燕子さん=07年3月(劉燕子さん提供)

 ▽中国の未来は…

 燕子さん自身は天安門事件当時、肺結核を患い湖南省で療養中だった。運動に参加した体験はなくても「事件は忘れられない出来事」だし、自分は「天安門世代の人間」だ。燕子さんの同級生の弟は、鎮圧する側の軍の兵士だった。彼は〝英雄〟と当局に利用され、その後政府が事件そのものを隠蔽(いんぺい)するにつれて不遇をかこち、心を病んだ。

 政治改革を求めた学生らの運動が天安門事件で頓挫したことで、若者の間には閉塞(へいそく)感がただよった。そんな中、燕子さんは当局が一方で進めた開放政策により入ってきた日本の情報に触れ、憧れた。そして1991年、留学生として来日した。

 「日本では亡命者の文学といってもぴんと来ないかもしれない。中国のそういうジャンルに光を当てたかった」。投獄され、国外へと追いやられる人々の声を記録する。中国で抹殺されている言論や主張を日本語でも伝え、忘却されていくことを少しでも防ぎたいと考えている。

 聞き取り調査などのため、燕子さんが中国を訪れる機会は少なくない。自身も当局の嫌がらせを受けたことがあるし、中国で暮らす父母の身も心配だ。それでも、「ふるいにかけられて残る『正統の歴史』ではなく、消されてしまう歴史を記録することが文学の使命」という熱い思いがある。「中国の歴史は勝者と敗者がぐるぐると変わってきた。今見れば、たとえば暁波は〝敗者〟でも、未来は分からない。私たちにできることは記録することなんです」

 かつて清朝末期、孫文(そんぶん)らは日本で革命への支援を求めたが、日本語で発信を続ける燕子さんにはそうしたつもりはないという。「中国の未来は中国人自身の手で作り上げなければならない。でも、隣国で共に生きるということは、きれい事の〝日中友好〟だけではない。日本の人々にはただ知って、寄り添ってほしい。同じ時代を生きる人として、沈黙を強いられている中国の人たちの痛みも知ってほしいのです」

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 劉燕子(リュウ・イェンズ) 作家、65年北京市生まれ。来日して関西大などで学ぶ。現在、神戸大などで非常勤講師として勤務。訳書「中国低層訪談録」、いずれも翻訳・編集の「天安門事件から『08憲章』へ」「劉暁波伝」など。事件30年に合わせて「『〇八憲章』で学ぶ教養中国語」を出版した。