読鉄全書 池内紀・松本典久 編 東京書籍【鉄の本棚 23】その6

宮脇俊三さんの「夢の山岳鉄道」1993年(平成5年)です。

鉄道チャンネルのユーザーに改めて宮脇俊三(1926-2003)さんを紹介する必要はないと思いますが、ま、念のため。

元々は中央公論社の編集者。北杜夫さんを世に出した人です。(隣に住んでいる友人でもありました)熱心な鉄道ファンですが専門用語を自慢気に振り回す幼稚な人ではありませんでした。中央公論社員時代に達成した国鉄全線完乗の顛末を『時刻表二万キロ』(1978)として上梓。鉄道紀行を得意とした作家です。晩年の1995年から刊行した『鉄道廃線跡を歩く』(全10巻 JTB)では廃線探訪という鉄道趣味を一般人に認知させました。

あまり知られていないのは、宮脇さんの最初の配偶者・宮脇愛子(旧姓荒木)さんが現代美術の彫刻家として有名なこと、彼女の実家が熱海で広津和郎氏の近所で懇意にしていたので、宮脇さんを広津氏に紹介したことなど。ここにも広津氏が出てきました。不思議な縁ですね。

余談ですが、宮脇愛子さんの再婚相手、磯崎新氏のデザインした「ハラ ミュージアム アーク」(群馬県榛名山麓・伊香保温泉の近く)で彼女の作品を見ることができます。

※2015年9月撮影

文章は、マイカーで混雑する上高地から自動車を閉め出し、鉄道を敷いて鉄道だけでアクセスできる様にするという宮脇さんの計画。残念ながら私は上高地に行ったこともないし興味もないのでタダの空想山岳鉄道物語として読みました。後半の「志賀高原鉄道 草津白根線・奥志賀線」も申し訳ないけれど、スキーにも登山にも縁の無い者にはやはり空想山岳鉄道物語です。

北志賀に古い知人がペンションをやっていて遊びに行ったことがあります。初めて長野電鉄に乗って地下駅に驚きました。湯田中駅に知人が迎えに来てくれてペンションで飲んで帰ってきたダケなので二日酔いで見た景色以外は記憶に残っていません。

次は、作家五木寛之。一世を風靡した人気作家ですが、残念ながら私はほとんど作品を読んでいません。

五木氏の「さらば横川の釜飯弁当」(1997年)です。

北陸新幹線が長野まで開業する直前、64歳の五木氏が19歳の学生だった頃に食べた釜飯弁当を追憶しています。横川駅のホームで買って食べることが習慣だった釜飯なので、北陸新幹線になったら短い乗車時間では味気なくて食べないだろうと書いています。おそらくは五木氏の記憶違いと思われますが「峠の釜めし」は1958年(昭和33年)に誕生したので、昭和30年(1955年)19歳の五木氏が食べることはできないのです。

北陸新幹線が長野まで部分開業した1997年(平成9年)信越本線は横川が終着駅となりました。元々は碓氷峠の66.7‰という国鉄・JRで最も急な勾配を登るために、全ての列車が横川で補機のEF63を接続。その停車時間にホームで売られたのが「峠の釜めし」でした。

次に登場したのは南伸坊さん。名前も顔も分かります。三角おにぎりの様なキャラクターのイラストも思い浮かびます。でも正直言って南さんが「何をする人」なのかよく知りません。

へんな「鉄道好き」は、2017年に本書のために書き下ろされた文章です。

南さん「動いてない電車が好き」と言います。

まず、4歳で転居した北池袋で東武東上線北池袋駅が忽然と極めて短期間に作られた様子を描いています。余程印象的だった様です。

でも4歳の記憶なんてふつーはあんまり残っていないですよね〜。

やはり子供の頃、南さんは1947年(昭和22年)生まれなので戦後ほどない頃でしょう。町内の空き地に都電の廃車が放置されていて自由に遊べたそうです。また北袋には電車区があって、東上線、赤羽線、貨物線に沿って多くの側線に車両がたくさん駐められていたそうです。

南伸坊さんは、この廃車になった都電車両と、電車区の通路を日常的に歩いて「駐まっている=動かない電車」が大好きになったというのです。

今は山手線と京浜東北線の田端駅の北側、東北本線との間に尾久駅の向こうまで広がる大きな電車区があります。ここには一度ユックリ散歩に行ってみたいのですが、まだ果たせていません。

(写真・記事/住田至朗)

© 株式会社エキスプレス