「天皇の魚」命つなぐ 皇室とタイ王室、緊密な関係

タイ中部ナコンパトム県で養殖したテラピアを見るプリチャー・タブティムさん=4月(共同)

 4月30日に退位された上皇ご夫妻は在位中、海外と多くの交流を持たれ、親交を深められた。各国の関係者を訪ねて浮かび上がったご夫妻の姿を紹介する。

 日本の皇室とタイの王室は長く緊密なつながりを続けている。上皇さまが皇太子だった半世紀以上も前、プミポン国王(当時)に贈った淡水魚の稚魚が繁殖され、食料難だったタイ国民の命をつないだエピソードは特に知られていて、今でもタイで語り継がれている。人々は感謝と親しみを込めて、その魚を「天皇の魚」と呼んでいる。

 1950年代、タイの地方はまだ貧しく、国王は「農民は国家を支える背骨であるにもかかわらず、都市の住民に比べて貧しい生活を強いられている」と憂慮。お金や物を与えるのではなく、自力で持続可能な開発を行う力を農民たちが持てるようにさまざまなプロジェクトを考案した。その中の一つに、淡水魚の養殖があった。

 国王がそのプロジェクトについてのアドバイスを求めたのが魚類専門家でもあった上皇さまだった。タイの関係者によると、上皇さまが皇太子だった64年、タイを訪れ、国王から「タンパク源を補う食料が不足している」と相談を持ち掛けられた。上皇さまはアフリカ産の淡水魚テラピアを推薦し、帰国後、50匹の稚魚を贈られた。

 国王は首都バンコクの宮殿の池でテラピアの繁殖に成功。全土へ広め、貧しい老若男女の貴重な食料となった。

 魚のタイ語名は「プラー・ニン」(タイ語でプラーは魚、ニンは尖晶石の意味)。上皇さまの名前、明仁の「仁」(ニン)の字に由来するともいわれる。

 「プラー・ニンは、上皇さまと国王によるレガシー(遺産)だ」と、カセサート大のトン・タムロンナワサワット准教授(海洋科学)は力説する。

 バンコクの魚類博物館入り口には、プラー・ニン誕生の発端となった64年、タイ訪問中に立ち寄った当時の博物館で標本を手にする上皇さまの大きな写真が展示されている。

 プラー・ニンは今ではタイを代表する大衆魚になった。中部ナコンパトム県にある魚市場の鮮魚店で働く女性店主ペンナパ・インピラットさん(36)によると、価格は1キロ当たり30バーツ(約100円)。「安い上に、焼いても蒸しても揚げても良し」と太鼓判を押す。

バンコク近郊の市場でテラピアの塩焼きを売る女性=4月(共同)

 肉厚で柔らかな白身を持ち、ハーブのレモングラスを詰めた塩焼きやフライが人気で、有名なスープ料理トムヤムクンの具になることも多い。

 タイ国内のプラー・ニン養殖業者は約30万に上り、世界各地に輸出するまでの産業に成長した。

 「タイの国王と日本の天皇(上皇さまのこと)にいただいた魚だから、大切に育てている」「(上皇さまは)タイの食料難を救った恩人」などと、養殖業者だけでなく一般市民の間でも特別な魚だ。

 タイの人々のそんな言葉を聞くたびに、なぜか自分まで誇らしいような気持ちになる。タイが親日国である理由も、この魚のエピソードと無関係ではあるまい。

 タイで養殖されたプラー・ニンは、飢餓に苦しんでいたバングラデシュにも贈られ、再び多くの人の命を救った。

 ナコンパトム県の養殖業者プリチャー・タブティムさん(50)のもとには、アジアの山岳国ブータンや太平洋の島国トンガからも養殖の相談が寄せられているといい、「天皇の魚」は今も世界から注目され続けている。(バンコク共同=清水健太郎)

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