果たされた「父親」との約束

フィリピン訪問時に面会の日系2世

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日系人の歓迎を受ける当時の天皇、皇后両陛下=2016年1月、マニラ

 「戦争が終わったら戻ってくるからね」

 フィリピンに住む日系2世の多くは、太平洋戦争中、日本人の父親にこう約束され、かなわずじまいだった。戦争のせいで家族と離れ離れになり、戦後は激しい反日感情から迫害され、経済的に困窮した2世たち。2016年に当時の天皇、皇后両陛下(現上皇ご夫妻)がフィリピンを訪問された際、上皇さまに自身の父親を重ね合わせ「お父さんが約束を果たして会いに来てくれた」と感じ入った人が多かったという。

 首都マニラのホテルロビーで、ご夫妻は日系2世約90人の輪に囲まれ、笑みを浮かべられていた。16年1月28日のことだ。当初、代表者以外の2世たちとの面会予定はなかった。しかし、日系人側は「高齢の2世にとって面会できる最後の機会」と焦りにも似た思いを関係省庁への手紙にしたため、異例の面会が実現した。

 「ご訪問の数カ月前に日本大使館から連絡があった」と、日系3世でフィリピン日系人会連合会のイネス・マリャリ会長(48)は振り返る。日系人の代表者5人と配偶者にご夫妻との懇談の機会があるとのことだった。

フィリピン日系人会連合会のイネス・マリャリ会長=2月、フィリピン南部ダバオ

 語学留学で初めて日本に行ったのが平成元(1989)年だったこともあり、ご夫妻に親近感を持っていた。

 「ありがたいと思った。でも代表者だけでなく、苦境を経験した高齢の2世たちも面会できないだろうか」。マリャリさんは大使館と交渉を始め、宮内庁と外務省の幹部宛てにも日本語で手紙を書いた。上皇さまが新聞をよく読むと聞き、残留日系人の存在を記事で取り上げてもらえないか記者に打診もした。

 「2世の平均年齢は80歳を超える。一瞬でもいい。沿道で日の丸を振るだけでもいい」。当局から前向きな反応は得られなかったが、ご夫妻の宿泊先ホテルのロビーに集まることは認められた。代表者以外との懇談は予定になく、面会が果たせるかは分からない。

 当日、会議室で代表者との懇談を終えたご夫妻は、ロビーで4列になって待つ2世たちに歩み寄った。後列の人にも近づき、手を取りながら「来てくれてありがとう。体に気を付けて」といたわった。急きょの面会は2世の思いを酌んだご夫妻の意向だったという。

 マリャリさんの祖父は鹿児島市出身の日本人。戦争が始まると、日本に戻るためフィリピンを船で離れることになった。「2世の多くは戦争が終われば父親とまた会えると思っていた。うちの母もその一人だった。みんな2世たちは父親が戻ってくるのを待っていたんです」

 しかし、祖父は戻ることはなかった。80年代になって、祖父の乗った船が撃沈され、帰らぬ人となっていたことを知った。

 「2世の父親のほとんどは、残念ながら『戻る』という約束を果たすことができなかった」。しかしご夫妻との面会が実現したことで「天皇陛下は日本のシンボルで『日本のお父さん』という思いがあったので、2世の人たちはついに父親との約束が果たされたように感じていた」

 「日系人は日本人として認められてこなかったが、想定外の面会で日本人の子孫との誇りが生まれた」とマリャリさん。上皇さまによる歴代天皇として初めてのフィリピン訪問は「祖国」から離れて暮らす日系人の心の距離をぐっと縮めた。(マニラ共同=岩橋拓郎)