アザールはどうなるか。レアルがプレミアから獲得した23名の選手、覚えてる?

『Plamet Football』は10日、「レアル・マドリーがプレミアリーグから獲得した23名の選手」という記事を掲載した。

先日チェルシーからエデン・アザールを獲得したレアル・マドリー。今季クリスティアーノ・ロナウドの穴を埋めきれなかったクラブにとって、来季を期待させるような大型補強になった。

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では、近年プレミアリーグからレアル・マドリーにやってきた選手はどうなったのか?23名を振り返ってみよう。

ティボー・クルトワ

レアル・マドリーのファンは、ケイロル・ナバスを彼に置き換えることに満足はしなかっただろう。クルトワはスペインでの初年度で皆を納得させられなかった。

「僕は十分に評価されていないと感じる」とクルトワは話したが、それを変えるためには2年目のシーズンが重要になる。

チチャリート

マンチェスター・ユナイテッドからやってきたメキシコ代表ストライカー。わずか858分の出場で7ゴールを決め、スーパーサブとして結果を残した。アトレティコ・マドリーとのチャンピオンズリーグ準々決勝での得点も重要だった。

ローンだったため1年でレアル・マドリーを去り、レヴァークーゼンを経てウェストハム・ユナイテッドへと移籍していった。

ギャレス・ベイル

トッテナムでサイドバックからウイングに転向し、プレミアリーグで最も危険な選手の一人となったベイル。2013年に世界記録の移籍金でレアル・マドリーにやってきた。

それ以来231試合で102得点を決めてきたが、クリスティアーノ・ロナウドの穴を埋められる存在ではなかった。

マイケル・エッシェン

2012年にチェルシーからレアル・マドリーにやってきたエッシェン。ジョゼ・モウリーニョ監督は、大きな怪我の後でパフォーマンスを落としていた教え子をチームに引き入れた。

シーズンで35試合に出場したが、チームはタイトルを獲得することはできず。ローンであったためそのままチェルシーに復帰し、その後はミラン、パナシナイコス、ペルシブ・バンドン、サバイルFKでプレーしている。

ルカ・モドリッチ

6回のクロアチア最優秀選手に輝いたモドリッチ。2012年の夏にトッテナムから3000万ポンド(およそ43.66億円)の移籍金でレアル・マドリーへとやってきた。

彼はそれから300試合以上でプレーし、2018年にはバロンドールも獲得。リオネル・メッシ&クリスティアーノ・ロナウドに独占され続けたタイトルを奪ってみせた。

エマニュエル・アデバヨール

決して静かになることはない男の一人。アデバヨールはマンチェスター・シティのプランから外れ、2011年の1月にローンでレアル・マドリーへとやってきた。

彼は22試合でプレーし8ゴールを決めた。その後シティに戻り、トッテナムへと貸し出されて完全移籍。それからクリスタル・パレスを経て現在はトルコのイスタンブールBBに所属している。

リカルド・カルヴァーリョ

ジョゼ・モウリーニョが彼をレアル・マドリーに連れて行くという報道があった時、カルヴァーリョは「もしそのチャンスがあるならば、泳いででも、走ってでも行くよ」と話した。

その2週間後彼はチェルシーを離れ、レアル・マドリーに加入。3シーズンで公式戦76試合に出場し、2013年にモナコへと去っていった。

クリスティアーノ・ロナウド

438試合で450ゴール。それ以上に言うこともない。

シャビ・アロンソ

リヴァプールを離れることを望んではいなかったそうだが、2009年に彼はレアル・マドリーへと3000万ポンド(およそ43.66億円)でやってきた。

そしてサンティアゴ・ベルナベウで236試合に出場。リーガやチャンピオンズリーグで優勝を経験し、そしてバイエルン・ミュンヘンへと移籍していった。

アルバロ・アルベロア

右サイドバックでプレーするアルベロア。一度退団してから3年でレアル・マドリーに戻ってきた。

それから7シーズンで233試合に出場。それからイングランドへと戻り、ウェストハム・ユナイテッドで1年プレーした後に引退した。

ラサナ・ディアラ

世界で最も謎に包まれたキャリアを送った選手の一人といえる。チェルシーやアーセナルでプレーし、そして2009年1月にポーツマスからレアル・マドリーにやってきた。

3年半スペインでプレーした後にロシアのアンジ・マハチカラへと移籍。それからロコモティフ・モスクワ、マルセイユ、アル・ジャジーラ、そしてPSGでプレーした。

ジュリアン・フォベール

ウェストハム・ユナイテッドから2009年にレアル・マドリーへのローン移籍を決断した「TGV」ことフォベール。

彼は購入オプションを伴った半年契約でやってきたが、出場は二回だけ。むしろベンチで居眠りしていたと言われた映像が話題になってしまった。

アリエン・ロッベン

「僕は退団したくなかったが、チェルシーが僕を売りたがっていた」と話したロッベン。レアル・マドリーでは2シーズンプレーしたが、クリスティアーノ・ロナウドとカカの獲得によって放出された。

サンティアゴ・ベルナベウでは65試合に出場して13ゴール。その後移籍したバイエルン・ミュンヘンでは長く活躍し、10年間を過ごしている。

ガブリエル・エインセ

エインセはマンチェスター・ユナイテッドからリヴァプールへの移籍を望んでいたが、アレックス・ファーガソンがそれを良しとしなかった。

最終的には国外のクラブならば許可するということになり、レアル・マドリーに加入。2年間プレーし、それからマルセイユへ移籍した。

イェジー・ドゥデク

2005年にチャンピオンズリーグ決勝のPK戦で妙なダンスを見せ、なぜか勝利に貢献したドゥデク。ただリヴァプールではペペ・レイナの前にポジションを失った。

レアル・マドリーには2007年にフリーで加入。4年間所属していたが、リーガでの出場は2回だけだった。

ルート・ファン・ニステルローイ

クリスティアーノ・ロナウドと世代交代するようにマンチェスター・ユナイテッドからレアル・マドリーにやってきたファン・ニステルローイ。2006年に1400万ポンド(およそ20.37億円)で加入した。

リーガでの最初のシーズンで得点王に輝き、「ファン・ゴール」というニックネームもつけられた。96試合で64ゴールという見事な記録を残している。

ホセ・アントニオ・レジェス

アーセナルで3シーズンを過ごした後、ジュリオ・パチスタとのトレードによって退団することになったレジェス。レアル・マドリーへの移籍を求めていたというレポートは否定されている。

リーガに戻ってきた彼は決して中心的な選手にはなれなかったものの、それでもいくつかの重要なプレーで優勝に貢献した。残念ながらも先日交通事故で死去している。

ジョナサン・ウッドゲイト

2004年にニューカッスルから加入したイングランド代表DF。予想通り怪我に苦しみ、ほとんど本領発揮できず。

マイケル・オーウェン

かつての「ワンダーキッド」オーウェンは、リヴァプールから800万ポンド(およそ11.64億円)でレアル・マドリーに加入。

36試合のほとんどが途中出場であったが、そのなかで13ゴールを奪う活躍を見せた。そしてニューカッスルへと移籍し、1年でレアル・マドリーを去った。

トーマス・グラヴェセン

2005年にエヴァートンから獲得されたデンマーク代表。あまりにも地味で無骨な選手がレアル・マドリーにやってきたことに誰もが驚いた。

そして誰もその有効性を確認できないまま、2006年にチームを去った。グラヴェセンすらも「ジョークはやめてくれと代理人に言っていた」と話した移籍は、結局ジョークになった。

デイヴィッド・ベッカム

バルセロナと奪い合って獲得したベッカム。マンチェスター・ユナイテッドから3700万ユーロ(およそ45.5億円)でレアル・マドリーに加入した。

彼がサンティアゴ・ベルナベウに所属していた3年間は、レアル・マドリーが優勝できなかった時期だ。そして個人としてもボランチでのプレーを余儀なくされた。2007年にLAギャラクシーへと移籍している。

ニコラ・アネルカ

1999年に2300万ポンド(およそ33.47億円)という高額でアーセナルから獲得したアネルカ。プレミアリーグでは65試合で23ゴールを決めたが、レアル・マドリーではわずか2得点に終わった。

しかし2000年にPSGに売却された際には2200万ポンド(およそ32.02億円)になったため、ほとんど損はなく終わっている。

スティーヴ・マクマナマン

1999年にリヴァプールからフリーでレアル・マドリーにやってきたイングランドきってのアタッカー。

初年度にチャンピオンズリーグ決勝のバレンシア戦でとんでもないボレーシュートを決めたことは、彼のキャリアのハイライトだった。その後は出番を減らし、2003年にチームを離れている。

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