井上淳一(映画『誰がために憲法はある』監督)- いまの時代、映画は何もしなくていいのか?

その仕事に正義はあるか

──「憲法くん」はもともと芸人の松元ヒロさんが20年以上演じている一人語りですが、これを戦前生まれの名女優・渡辺美佐子さんが演じたのは、どういう経緯からですか?

井上:僕は、美佐子さんが出演していた「燐光群」の演劇、沖縄の問題を取り上げた『サイパンの約束』やハンセン病を取り上げた『お召し列車』を見ていたので、彼女ならこういう社会的なテーマの映画にもためらわずに出てくれるんじゃないかと思いました。それで美佐子さんに依頼の手紙と「憲法くん」の絵本を送ったところ、快く引き受けていただけたんです。とはいえ、憲法前文を含む「憲法くん」の膨大な台詞を憶えるのは大変なことなので、当初は普通に朗読でと言われたのですが、「この映画は美佐子さんが憲法くんになって演じることが重要なんです」と説得しました。「私が憲法くんなら憶えないとね。大変だけど、いいわよ」と言ってくれて、その時には涙が出ました。

──美佐子さんによる「憲法くん」の一人語りはすごい迫力でしたが、ベテラン女優たちが33年間続けているという原爆朗読劇も非常にずっしりと響きました。彼女たちがなぜ手弁当でやっているのかを語るシーンもよかったです。

井上:日色ともゑさんが先輩の宇野重吉さんから「その仕事に正義はあるか」と言われたエピソードや、大橋芳江さんが父親から、「戦争で死ぬなら反対して死ね」と言われたことなど、なぜ女優たちがあの朗読劇をやり続けているのかの思いが伝わってきますよね。僕たちは子供の頃に彼女たちが出ているドラマを見て育ったわけですが、当時の演劇人の中にはそういった意識が強くあったんだなと。

──大原ますみさんが「こういうことをやってると左翼だって言われてしまう日本の雰囲気が不思議ですね」と言ってますが、今の社会の風潮を見事に言い当ててました。

井上:大原さんは宝塚歌劇団の大スターとして活躍した方ですが、そういう人がああいった発言をするのは非常に意味のあることだと思います。

忖度と脳内リスク

映画は憲法記念日をはさんだゴールデンウィークの公開が決まり、それに向けて試写会を行っている最中に1つの事件が起きた。広島の中学校で収録された原爆朗読劇には、その学校の生徒6人が参加して、女優たちと一緒に朗読を行い、観劇後に交流会をしている場面が使われていたのだが、それを知った学校の校長からクレームが入ったのだ。もちろん事前に撮影許可は取っていたが、映画のタイトルに問題があるということだった。

井上:はじめに抗議を受けた時、僕は楽観していたんです。作品さえ観てもらえば納得してくれるだろうと。生徒さんたちの朗読は素晴らしかったし、中でも「広島に生まれてよかった」と言った女生徒は素敵でした。「私達が、戦争の悲惨さ、平和の大切さを伝えていかなければならない」と。それを聞いた女優も「みなさんの話を聞いて、本当に嬉しかった。これで安心してあの世に逝ける」と感動している。でも、映画を観た校長は激怒し「こんな憲法の映画に出て、もし生徒たちの命が狙われでもしたら、どうするんですか!監督は生徒が殺されてもいいと言うんですか!」と激怒したんです。

それを聞いて僕は思わず笑ってしまったんですが、向こうは本気です。自らが過剰な忖度とありもしない脳内リスクに冒されているかもしれないとは微塵も思っていない。もちろん僕は抵抗しましたが、このままだと今年予定されている広島の5公演ができなくなるという所までいって、最終的にこの部分を切ることにしました。

音楽のPANTAさんは「これは後退ではなく転進だ」と言ってくれたんですが、それでも、僕が過剰な忖度とありもしない脳内リスクに負けて、自らの表現の自由を放棄してしまったのは本当に悔しいです。

映画は何もしなくていいのか?

2017年の森友・加計問題から流行語にもなった「忖度」は、今の日本に漂う同調圧力とも相まって、社会全体をすっかり萎縮させてしまった。権力がおかしなことをしても文句を言わずただ従うことが是とされる、そんな状況で深い議論もされないまま、安倍自民党は2020年の改憲を目指している。

井上:もしかしたら現行憲法で迎える最後の憲法記念日になるかもしれない日に、憲法に関する映画が一本もなかったとはなりたくなかった。僕はまだ諦めたくないんです。政治学者の白井聡さんに、映画を観た後「井上さんはまだ期待しているんですか?あまいですよ」って言われたです。僕は「じゃあ、白井さんはなんで本を書いてるのか?」と聞いたら「当時も戦争に反対して治安維持法で捕まった人がいたように、自分も50年後にそういう立派な人がいたと思われればいいんだ」って言うんです。白井さんは半分冗談で言ったんでしょうが、このままだと10年後は、あの頃はまだこういう映画が許された時代だったんだと言われることになりますよ。

──先日、自民党が有名デザイナーのイラストで七人の侍を模した「#自民党2019」という広報戦略を始めましたが、いまはサブカルチャーの分野さえも相当危ない状況になってますね。

井上:それこそ「その仕事に正義はあるのか」と問いたいです。あれを「七人の侍」と言ったら黒澤明が草葉の陰で泣きますよ。例えばローラが辺野古の海を守ろうと少し言っただけであれだけバッシングされる一方で、安倍晋三が吉本新喜劇に堂々と出てたり、芸能人と食事を繰り返すという状況。

かつて大島渚が「映画はワンカットたりとも政治的じゃないカットはない。あるとするならノンポリティカルという名のポリティカルだ」と言いましたが、いまはノンポリですらなく、「現状肯定」というあきらかな保守が社会を支配している。だから作家はより自覚的にならないと、あのイラストレーターのように簡単に取り込まれてしまうでしょう。ここまできてしまったら局地戦で闘うしかないです。50年後に2019年の日本がどんな社会だったかを振りかえった時、いまのメジャー映画からは絶対に分からないでしょうね。

──監督がこの映画を撮った一番の動機は「いまの世の中の流れに対して、映画は何もしなくていいのか?」ということですが。

井上:2001年の同時多発テロの後、アメリカのアフガン空爆に反対する声明をシナリオ作家協会で出そうと思ったんです。なぜなら、作家協会発行の「月刊シナリオ」は9・11について一切触れてなかったから。当時、あの週刊プロレスでさえ9・11の記事を掲載していたのにですよ。それで僕は「シナリオ作家協会は何もしなくていいのか」と問いかけたんです。でも結局は反対の声があって理事会採決もなかった。その理由が「作家というのは作品で勝負するものだ」でした。でも、僕はその人の作品履歴を全部調べたけど、そういうことを言う人に限って、政治性のある作品なんか1つも作ってないんです。テレビドラマやメジャーな映画でそれができないんだったらせめて個人で発言しろよと。「誰がために映画はあるのか?」という気分になりますよね。

──映画やロックが反権力でなくなったら、もはやサブカルチャーではないですよね。

井上:2012年に新藤兼人と若松孝二が亡くなり、翌年に大島渚が亡くなって以降、いまだにその席は空席なんです。こんな「ユルい」憲法映画を作っている僕なんかが目立ってしまうぐらいだから。相当深刻な状況ですよね。今月号の「創」は映画特集だそうですが、篠田編集長には全映画作家に今の自民党の改憲をどう思うのか聞いてもらいたいですね。今日の上映後の舞台挨拶で「日本国憲法は世代を越えたプロジェクトだから、我々世代で無くすわけにはいかない」と言ったんですが、映画だって120年間積み重なった歴史があるんですよ。それが日本映画はどこかで世の中と向き合うことをやめてしまった。その危機感は非常にありますね。

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