『彼女たちの場合は』江國香織著 もっと遠くへ

 もっと遠くへ―。いつのまにかそう願っていた。この旅がいつかは終わると知っている。一瞬一瞬が、二度と味わうことのないかけがえのない時間であることも。だからこそ、もう一日だけ長く、あと少しだけ遠くへ行かせてあげたい。そう思い続けた。

 米・ニューヨークに両親と弟と暮らす14歳の礼那と、礼那の家にこの夏から居候している17歳の逸佳。従姉妹同士の2人が10月のある日、旅に出る。「これは家出ではないので心配しないでね。電話もするし、手紙も書きます。旅が終ったら帰ります」という手紙を残して。

 「私たちアメリカを見なきゃ」とこの旅を発案したのは逸佳だ。礼那も「れーな、わくわくするよ」と話に乗った。出発前に2人が決めた旅のルールがおもしろい。「陸路を使う」「携帯電話は緊急用で、旅のあいだは電源を切っておく」といった具体的な決まりのほかに、こんな項目がある。「今後、この旅のあいだにあった出来事は、永遠に二人だけの秘密にする」。いかにも少女らしい発想で、嬉しくなる。

 ニューヨークを出てまずボストンへ。メイン州・ポートランド、ニューハンプシャー州・マンチェスター、オハイオ州・クリーブランド、テネシー州・ナッシュヴィル、アーカンソー州・リトルロック…。さっと通り過ぎる街もあれば、事情があって長居することもある。

 移動手段は長距離バスや鉄道、ヒッチハイクなど。アメリカは、とにかく広い。気候も風土も人々の暮らし方も、場所によってまったく違う。読者は2人と共にそれを実感する。

 礼那と逸佳は対照的だ。礼那は英語が堪能でコミュニケーション能力が高く、誰とでもすぐに親しくなる。アーヴィングの小説が特に好きな「本の虫」で、感受性が豊か。日記をつけていて、この旅で経験したことを忘れたくないと願っている。

 逸佳は日本にいたころ不登校を経験している。人見知りが激しい上に、英会話力にも不安がある。しかし年下の礼那を守ろうという自覚があり、芯は強い。

 2人に小さな諍いはあっても、互いの信頼を失うことはない。時々「チーク!」と言いながら頬と頬をくっつける。息の合ったコンビなのだ。

 旅の途中で出会う面々も魅力的だ。特に、物静かで編みものが趣味のクリス。逸佳は彼に心を開く。別れの場面が印象深い。その時が近づくにつれ、クリスの口数が減っていく。礼那が「怒ってるの?」と聞くと、クリスが言う。「僕はただ、グッバイを言うのが苦手なんだ」

 旅の終盤、礼那は気付く。旅での出来事は永遠に2人だけの秘密にするというルールは「無駄な約束だった」と。「たとえばこの朝がどんなにすばらしいかっていうことはさ、いまここにいない誰かにあとから話しても、絶対わかってもらえないと思わない?」

 さて、残された親たちはどうだったか。どちらの両親も当然、大いに心配する。ここはアメリカで、2人はまだ10代の少女なのだ。危険なのは間違いない。

 しかし、その心配の中に少しだけ、おもしろがるような気持ちが混じっている親もいる。2人は誘拐されたわけではなく、自分の意思で出発したのだから。

 誰もが、今いる場所を抜け出し、違うどこかへ行きたいと願うことがある。若き日、その願いは、より純粋で強い。

 どんな大人にも、そんな10代のころがあったはずだ。そのみずみずしい日々が、鮮やかによみがえる。

(集英社 1800円+税)=田村文

© 一般社団法人共同通信社