真に人権救済の砦に 砂川事件国賠訴訟 米国〝介入〟の裁判巡り

第1回口頭弁論終了後に記者会見する原告ら。左から原告の坂田和子さん、土屋源太郎さん、主任代理人弁護士の武内更一さん=6月12日午後3時ごろ、東京地裁内の司法記者クラブ

 1957年、東京都砂川町(現・立川市)などにあった米軍立川基地の拡張計画に反対し、デモ隊の学生や労組役員らが基地敷地内に立ち入り、刑事特別法違反の罪に問われた「砂川事件」。大半の人にとっては「名前は聞いたことがある」という程度の認識だろう。だが実は60年以上たった今日も砂川事件に関する裁判が続いている。元被告らが国を相手に起こした国家賠償請求訴訟だ。(共同通信=阿部茂)

 全員に無罪を言い渡した一審判決が最高裁で破棄され、最終的に有罪となったが、元被告らは最高裁が「公平な裁判所」ではなかったため、憲法が保障する「公平な裁判所」による裁判を受ける権利を侵害されたと主張している。6月12日に開かれた第1回口頭弁論では元被告ら原告は「人権も名誉も踏みにじられた」などと訴えて「正義と法に基づく正当な判決」を求めた。

 最高裁判決から間もなく60年。民法で3年間と規定される時効や20年間とされる除斥期間が、元被告らの救済に向けては大きな障壁として立ちはだかる。国側は既に答弁書で時効消滅や除斥期間経過などを理由に訴えの却下・棄却を求めているが、司法当局は、自らへの国民の信頼を維持、回復し、日本が真の意味での「法治国家」だと立証するためにも真正面から訴えと向き合うべきだ。

 ▽破棄された伊達判決

 砂川事件は、55年に決まった米軍立川基地滑走路延長計画に対し、計画予定地だった砂川町の農家らが反対して立ち上がった「砂川闘争」の中で起きた。警官隊と農民らが衝突した流血事件翌年の57年7月8日、農民らを支援し、基地内の測量に反対するデモ隊約300人が柵を倒し、基地敷地内に侵入した。2カ月後の9月下旬、20人超が逮捕され、そのうち明大生だった土屋源太郎さん(84)や労組役員だった坂田茂さん(故人)ら7人が10月、起訴された。

 罪名は「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約3条に基づく行政協定に伴う刑事特別法」2条違反だった。

 東京地裁の伊達秋雄裁判長は59年3月30日の判決で「米軍駐留は憲法違反」と判断。違憲の在日米軍を特別扱いする刑事特別法の条文は無効だとして被告全員を無罪とした。「伊達判決」と呼ばれ、日本の憲法裁判史上も極めて著名な判決だ。

 これに対し地検側は通常なら高裁に控訴するはずだが、高裁を飛び越えて最高裁に直接上訴する「跳躍上告」を選択。これを受けた最高裁の大法廷(裁判長・田中耕太郎長官)はわずか8カ月のスピード審議の末、同年12月、一審・伊達判決を破棄し、審理を東京地裁に差し戻す判決を言い渡した。被告はその後、東京地裁の差し戻し審などを経て64年1月、罰金2千円の有罪が確定した。

砂川事件の判決が言い渡された最高裁大法廷=1959年12月16日

 ▽密談が公文書で発覚

 事件はこれで〝一件落着〟のはずだったが、2008年以降、国際問題研究者の新原昭治氏らが米国立公文書館で見つけた公文書が、隠されていた舞台裏を浮かび上がらせた。60年の日米安保条約改定を前にマッカーサー駐日大使ら米側と、田中長官が接触を重ね、長官が訴訟指揮方針や合議内容を伝えていたのだ。

 このことが当時発覚していれば「司法権の独立や公平性を損なう」と強く批判され、田中長官は辞任に追い込まれていた可能性もあるだろう。この事態を「法治国家崩壊だ」と指摘する有識者もいる。伊達判後の異例の跳躍上告についても、マッカーサー大使が判決の翌日朝、当時の藤山愛一郎外相と会い、日本側に促していたことが米文書で明らかになった。

 憲法37条1項には「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」と明記されているが、「最高裁が『公平な裁判所』でなかったのは明らか。大法廷判決自体が憲法違反で無効な判決だった」(吉永満夫弁護士)。

 そのため土屋さんらは吉永弁護士を弁護団長として14年6月「憲法が保障する『公平な裁判所』による裁判を受ける権利を侵害された」として再審請求をしたが、東京地裁は16年3月に請求を棄却。土屋さんらは抗告が棄却されたため特別抗告もしたが、最高裁は昨年7月、棄却と決定。元被告らに再審の機会が与えられることはなかった。

 ▽真相と謝罪求め提訴

 「納得できない。怒りすら覚える」―。元被告らがそうした思いで起こしたのが今回の国賠訴訟だ。原告は土屋さんら元被告2人を含む3人。求めているのは1人当たり10万円の慰謝料と1人当たり2千円の罰金相当額の支払い、国による新聞への謝罪広告の掲載だ。

 主任代理人の武内更一弁護士は「裁判所には先達の過ちを認め、謝罪してもらいたい。認めなければ裁判所は司法の独立の放棄を改めて認めることになる」と話す。

 6月12日、東京地裁1階の第103号法廷では元被告坂田さんの長女で原告の一人、元小学校教諭の坂田和子さんが意見陳述で裁判長に訴えた。

 「社会科で『日本は三権分立の国だ』と教えてきましたが(最高裁の)この事実を鑑みると、私が教えてきたことは間違っていたと言わざるを得ない。これからの教員には迷いなく、事実として『三権分立』を教えられるようになってほしい。裁判長、司法は公平で独立したものであることを明らかにしてください」

 ▽人権救済する司法を

 砂川事件の大法廷判決が内包する問題は、実は「公平な裁判所」の問題にとどまらない。伊達判決破棄の根拠として最高裁は、安保条約など高度に政治的な問題は裁判所の違憲立法審査権の範囲外とする「統治行為論」を初めて採用した。その後、同論や第三者行為論などを基に各級裁判所で日米安保を巡る住民の訴えが退けられ、横田基地や厚木基地の騒音公害など米軍基地問題に苦しむ人たちの救済が進まないとされる。人権より安保優先の構図、日米同盟を最優先させ、司法が自らの最大の責務である人権救済を放棄する構図が、ここで出来上がってしまったとも言えるが、それを改めるべきは当然だ。

 日米同盟最優先を法文化したとも言える15年9月成立の安全保障関連法の策定・審議過程では、「(日本が)必要な自衛のための措置をとりうる」との砂川事件最高裁判決の指摘が、集団的自衛権の行使解禁を正当化するための論拠とされた。同行使解禁は極めて違憲性が高く、これが牽強付会の理屈なのは歴代の内閣法制局長官らも強く指摘しているところだ。

 砂川事件、砂川闘争は遠い昔の問題だとの見方もあるだろう。だが「憲法違反の最高裁判決」が今も高裁や地裁の判断を縛り続け、「戦争の惨禍」を招きかねない政府の行為を許容する結果を招いているとするなら、それは「過去の問題」で済まされないはずである。

 東京地裁での第2回口頭弁論は10月2日。司法にはこの裁判を、人権救済の砦としての地位と信用を取り戻すための第一歩としてもらいたい。

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