カネミ油症51年 縦割りの〝壁〟 司法が追認

救済を求め、厚生労働省や農林水産省が立地する霞が関をデモ行進する被害者ら=5日、東京都千代田区

 カネミ油症事件は発覚から半世紀が過ぎたが、今なお被害者の本格救済には至っていない。なぜだろうか。原因の汚染食用油を製造・販売したカネミ倉庫(北九州市)は責任を認め、不十分ながらも一定の医療費や一時金を支払い続けている。一方、被害拡大を防げなかった国、油に混入した有害化学物質ポリ塩化ビフェニール(PCB)を製造したカネカ(旧鐘淵化学工業)は、救済の主体者とはなっていない。改めて責任の所在を考える。

 ◎「今の感覚なら連携して当然」/国を免責 「危険予見できず」

 「予想もしない突然の出来事だった」-。油症被害者が1970~80年代、国やカネミ倉庫、カネカなどの責任を問う全国統一訴訟(1~5陣)で、原告弁護団の事務局長を務めた吉野高幸弁護士(76)は、国への「逆転敗訴」の衝撃をそう振り返る。

 この大規模訴訟の過程では、汚染油を製造・販売したカネミ倉庫の他にも、油に混入したPCBの製造元カネカ、被害拡大を防げなかった国の責任を認める判決も出ている。しかし86年5月の2陣二審で、司法は一転してカネカと国の責任を否定。最高裁でも敗訴の可能性が強まった原告側は国への訴えを取り下げ、被害者の全面救済が遠のく転換点となった。

 「現在の国民の感覚からすれば、明らかにおかしな判決だった」。吉野弁護士は、今も歯がゆさを募らせる。

 ◆ダーク油事件

 当時、国の責任を認めた判決は、どのような内容だったのか。その焦点となるのは、人的被害が拡大する前の68年2月ごろに発生した「ダーク油事件」を巡る国の対応だ。ダーク油は、カネミ倉庫が油症の原因となった食用米ぬか油を製造する過程で出る副産物で、これを飼料として食べた数十万羽の鶏が大量死した。油症が発覚する8カ月ほど前の事件。いわば油症の“前触れ”だった。

 農林省(当時)は同社への立ち入り調査で鶏大量死の原因をダーク油と特定したが、汚染源や、同じ工程で製造された食用米ぬか油の詳しい調査をしないまま、食用油は“安全”と判断。さらに食品衛生を担当する厚生省(同)にも、事件について通報しなかった。もし通報していれば、食品行政の担当機関が、食用油の安全性を確かめたり流通した油を回収したりすることで、人的被害が抑えられた可能性が高い。

 原告弁護団は一連の訴訟で、こうした国の怠慢を追及した。吉野弁護士らは、事件当初から国の内部で、食用油の危険性を警告していた厚生省研究員の証言を得て、国が食用油による人的被害を予見できたのに放置したと指摘。また、ダーク油事件の1年前に発生した鶏の感染症と、コレラ菌による豚肉汚染事件では、農林・厚生両省が共同で肉の流通防止に取り組んだり、国会で連携を約束したりしている点から、「ダーク油事件でも、当然連携すべきだった」と訴えた。

 ◆被害拡大招く

 84年3月の1陣二審判決で、福岡高裁は「ダーク油事件に対応した公務員がそれぞれの義務を尽くしていれば、被害の拡大を阻止することができた」として、初めて国の責任を認定。翌85年2月の3陣一審では福岡地裁小倉支部が、厚生省への通報連絡義務を怠るなど「農林省本省の高度な責任」を指摘した上で、「それぞれの注意義務違反が複合集積して油症被害の拡大を招いた」と断じ、同様に行政責任を認めた。吉野弁護士は「食の安全への関心が高まりつつある時代の、先進的な判決だった」と振り返る。

 しかし86年5月の2陣二審で、その流れが断ち切られる。福岡高裁は、農林省の担当者には食用油の危険性は予見できず、厚生省への通報義務もなかったとする判決を下し、国の責任を否定した。

 「今の感覚で言えば、国の責任を認めないなんて考えられない。食料を生産する側(当時の農林省)と、食品の安全を守る側(当時の厚生省)に同じ行政として連携を求めるのは、ごく当たり前の世論。ただ当時の司法は、それを責任と捉えず、縦割り行政を容認する考え方をしたということ」。吉野弁護士はそう語り、縦割り社会の弊害を打ち崩せなかった悔しさをにじませる。この司法判断は、後に国会議員らが被害者救済法を検討する過程で、官僚が「国に責任はない」として公的救済を否定する口実にもなった。

 ◆国の人権侵害

 89年3月に全国統一訴訟が終結。その後、国に責任を改めて問うたのが、被害者の人権救済申し立てを受けた日本弁護士連合会(日弁連)が2006年に出した勧告だった。日弁連は勧告書に添えた調査報告書で、多くの化学物質を使って生産活動を行う現代社会では、行政庁が相互に連携しなくては食品の安全を十分に確保できないとの見解を示し、国に対して「(ダーク油事件の)初動対応において、作為義務違反により被害者の人権を侵害した」と指摘した。

 加えて油症発覚後、被害者に適切な医療や生活支援などを提供してこなかった点も問題視。国が被害の発生・拡大を阻止できなかった上に、被害発生後も対策を怠ってきたとして、「他の公害などにおける救済措置や、特定疾患・難病患者に対する支援と同様の支援を行うべき」と国に勧告している。

 吉野弁護士は「勧告は食の安全を重視する世論の高まりが背景にあった。勧告にも、国の責任を認めた2度の判決にも法的拘束力はないが、国の責任を問う『武器』にはなり得る」と語る。

 ◎「カネミ油症 まだ解決していないと伝えていく」/救済法施行も隔たり大きく

 「国は、カネミ油症患者に関する施策を総合的に策定し、及び実施する責務を有する」。油症被害者の救済における国の責務を、2012年施行の被害者救済法はそう定めている。しかし超党派の議員による立法過程では、「国に責任はない」とする強固な官の論理に押し切られ、医療費の公的負担などは盛り込まれなかった。施行からもうすぐ7年。認定患者と当時同居していた家族が新たに「みなし認定」されるなど一定の進展はあったが、被害者側が求める本格救済につながったとは言い難い。

 ◆門戸を閉ざす

 同法は付則で、「施行後3年をめどに、施策の在り方に検討を加え、必要な措置を講ずる」と規定している。この点は、どうなっているのか。

 「被害者からの要望を受け、基本的な指針を改定した」。厚生労働省は取材にそう説明する。指針とは、同法に基づき国などが取り組む施策の方向性を示したもので、12年末に初めて策定。国は3年余りたった16年4月、指針に「(被害者が症状を緩和するための)漢方薬を用いた臨床研究を含む調査・研究の推進」と「新たな相談支援員の設置」を加えた。同年には本県など4県に、患者らの悩みや健康相談を受け付ける支援員が配置された。

 だがこうした改定も、被害者らが強く訴えてきた救済策との隔たりは大きい。被害者は、同法に基づく施策が適切に実施されているかを検証する3者協議で、国とカネミ倉庫に対し▽認定につながる診断基準の見直し▽次世代被害者の救済▽安定的な医療費補償-などを繰り返し要望。だが国は実現に向けた主体的な動きを見せていない。

 例えば診断基準。国は、全国油症治療研究班(事務局・九州大)に対し研究費を支出しているが、改定については「認定につながる新しい科学的知見が出ない限り、診断基準の見直しは難しい」と研究班に委ねる。被害者の要望に対して事実上、門戸を閉ざしている状況だ。医療費の公的負担についても国は「救済は原因企業が担うべき」として、政府米をカネミ倉庫に保管させ同社がその収益を被害者の医療費に充てる仕組みを改善する考えはない。

 ◆基準は「仮説」

 油症を巡り、国が第三者的な立場を取ってきたことで、人権侵害が見過ごされてきた側面がある。認定について、国は「科学的根拠」を重視するが、発生当初はPCBの影響が解明されていないにもかかわらず、皮膚症状に重点を置く診断基準を是認。ダイオキシン類が油症の主因として04年に診断基準に追加されるまでの36年間、不十分な基準で多くの被害者の認定申請を却下してきた。

 五島市で油を摂取し、10年に油症認定された森田安子さん(65)=福岡県大牟田市=は「油症は人類史上初めての事件で、誰も経験したことがない。基準は『仮説』でしかないはずなのに、なぜ独り歩きさせたのか」と国の対応に疑問を抱く。その後も、被害実態にそぐわないまま厳密に運用されている診断基準は、次世代を含む未認定患者の救済を阻んでいる。06年の日弁連勧告は「基準の再考や油症被害の救済のためには、国の主体的活動が不可欠」と指摘している。

 厚労省は今後について、「引き続き3者協議で被害者の意見や要望を聞いていく」と述べるにとどめた。

 ◆政治への期待

 3者協議の進展が望めない中、被害者団体や支援団体は「政治」へのアプローチを始めている。今月上旬、本県や福岡県の被害者らは坂口力元厚労相、公明党カネミ油症問題対策プロジェクトチーム座長の江田康幸衆院議員と面会。被害者は救済法見直しの必要性を訴え、坂口氏は次世代救済などについて「政治の場でまとめていくしかない」と協力する姿勢を見せた。

 カネミ油症被害者支援センター(YSC、東京)は被害者と共に、国会議員へのロビー活動を本格化させる。YSCの大久保貞利共同代表(70)は「議員の中には『救済法ができたのに何でまだ来るんだ』と言う人もいる。地道な活動を通し、油症がまだ解決していないと伝えることが必要」と前を向く。全国の被害者13団体の要望や見解を取りまとめる全国組織として今年設立した「カネミ油症被害者連絡会」もYSCと連携。今月下旬、14回目の3者協議に臨む。

全国統一訴訟の経過を振り返り、「国には被害を拡大させた責任がある」と語る吉野弁護士=福岡市内
第13回3者協議に臨むカネミ倉庫(奥)と国(左)、被害者=1月19日、福岡市内

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