カネミ油症51年 唯一の「勝訴」を拠り所に カネカ「尽くすべきは尽くした」 進まぬ本格救済 責任どこに

PCBを製造していたカネカ高砂工業所前で集会を開く被害者ら=2018年12月1日、兵庫県高砂市

 「われわれの責任はないと裁判ではっきりしていることに関し、ご納得いただけるでしょうか」

 「納得はしておりませんけども御社の見解としてはそういうことだと。その理屈に納得するということではないですけどね。油症とともに拡大したPCB環境汚染とその処理についても見解をお尋ねしたい」

 「なんともお答えできないですね」

 ◆PCB人体実験

 PCB汚染の食用油を製造販売したカネミ倉庫、そしてPCBを製造しカネミ倉庫に販売したカネカ。油症事件には、二つの企業が深く絡んでいる。現在、カネミ倉庫は、国、被害者団体との3者協議に出席し、認定患者の医療費などを負担。一方、カネカは一切関わっていない。今年2月、カネカに取材を電話で申し込んだところ、冒頭のようなやりとりの末、取材を拒否。送った質問にも答えなかった。

 「PCB人体実験」とも呼ばれた最悪の事件。PCBや熱変化したダイオキシン類を経口摂取した被害者は、いまだに苦しみ、その子ども(2世)も体調不良を訴え、2世の子ども(3世)の健康さえ不安を抱えているのが現状だ。「法的にもう終わっていること」と述べたカネカのホームページの沿革コーナーには、カネミ油症はもとより、PCBの商品名カネクロールさえ記載されていない。

 ◆定型のコメント

 カネカは油症に関し、コメントをおおむね決めているようだ。「カネミ倉庫が溶接工事のミスによって熱媒体(PCB)を食用油に混入させたばかりか、それを知りながら熱媒体混入油を食用油として販売した食品製造業者として全く非常識かつ異常な違法行為によって起こした事件。1986年5月の福岡高裁判決で、当社に責任がないことが明確に示された」「尽くすべきは既に尽くしている」

 主張の拠り所(よどころ)は、油症事件でカネカが被告となった複数の集団訴訟のうち、全国統一2陣二審のカネカの勝訴判決。だが、この判決までに出た6回の地裁、高裁判決の全てでカネカは敗訴していた。製造物責任(PL)法=95年施行=がまだなかった時代の、油症前史と裁判の経過を見ていく。

 ◆需要開拓を実行

 社史「変革と創造 鐘淵化学20年史」(70年発行)によると、カネカはPCB開発を試行錯誤の中で進め、54年に高砂工業所で「カネクロール」の生産を開始。低圧コンデンサーとトランス用で販売を伸ばし、高圧コンデンサー用に進出。電力会社、国鉄などへと「需要の開拓は、次々に実行された」。62~63年にノンカーボン紙進出に成功。65年ごろには中国向けに大量の輸出契約を結んだ。需要拡大の流れの中、食品製造会社のカネミ倉庫にも熱媒体として販売された。

 社史が発行されたのは既に油症が発生し、訴訟が本格化するころ。だが紙面からは、油症の原因物質であり、さらに環境汚染で大問題となるPCBへの懸念は、みじんも感じられない。

 ◆化学業界相手に

 その後、PCBは毒性が確認され、製造販売が禁止された。PCB製造、販売の責任が問われたカネカにとって初の判決は、77年10月の福岡訴訟一審判決。裁判長は「事故の責任はカネミだけでなく、PCBを販売する際、危険性や毒性を知らせなかった鐘化にもあり、これは過失」と断じた。カネカは即日控訴。もし同社の敗訴が確定すれば、他の集団訴訟も含めて賠償額が膨れ上がり、大企業カネカを揺るがす可能性があった。

 同時に、化学業界全体に深刻な影響を与えかねなかったとみられる。当時の長崎新聞によると、カネカの見解を「(判決がいわゆる製造物責任を認めたものとするならば)化学物質メーカーならびに産業界に与える影響も非常に大きい」と紹介。記事は「メーカーはこれまで以上に安全管理などのコスト負担を強いられ、不況で製品値上げもままならない化学業界全体が一段と窮地に追い込まれることになる」としている。つまりカネカを被告とした裁判は、原告にとって化学業界全体を相手にする側面があったということだ。

 78年3月の全国統一1陣一審判決も、「少なくとも(PCBをカネミ倉庫に)販売する以上、食品の安全確保のため、高度の注意義務を負うべきところ、鐘化はこれを怠り、カネミ油症を起こさせる根本的な原因をつくった」と裁断。カネカは即日控訴した。

 ◆一応安全を確認

 食用油にPCBが混入した原因について、カネミ倉庫はピンホール説、カネカは工作ミス説を主張=補足説明参照=。責任のなすりあいが激化する。

 82年3月の全国統一2陣一審判決では「鐘化はPCBを開発、企業化するにあたり、文献を検討しただけで危険性の高くない物質であると信じ、その不十分な点を補うためさらに研究を進めることなく、PCBを食品工業用として販売したことにつき注意義務違反があった」。そして、混入経路がピンホールか工作ミスかで「鐘化の責任に消長はない」とした。

 こういった判断は、84年3月の全国統一1陣二審判決でさらに強化され、工作ミス説であったとしても、PCBについて「油症事故の発端は鐘化が(カネミ倉庫に)販売の際、十分な警告を尽くさなかった点にある」とした。

 6度の判決で敗訴したカネカ。ところが、86年5月の全国統一2陣二審判決で、突然勝訴する。判決では、PCBの食品工業用としての供給は、「閉鎖系内を循環させるだけの形で使用するという条件下においては一応安全を確認し得た用途への供給である」「通常の食用油製造業者がカネクロールを熱媒体として使用するについて必要最小限の注意事項は記載されている。結局鐘化の責任はこれを肯定することができない」-などとした。

 「一応安全を確認」「必要最小限の注意事項」など消極的文言を挟みながら、これまで認めてきたカネカの責任をひっくり返し、さらに国の責任も認めず全責任はカネミ倉庫に絞られた。

 窮地に立った原告側は87年3月、最高裁の提示したカネカとの和解案を受け入れ、全訴訟一括和解方式で成立。その後、原告側は国への訴えを取り下げる。

 カネカと原告側の和解条項では、同社に責任がないことを確認。今後「名目のいかんを問わず一切の請求、要求等をしない」との文言が盛り込まれた。

 ◆対話望む被害者

 カネカは2009年、長崎新聞社の質問に文書で回答。和解成立までに仮払金や未訴訟患者への見舞金計約86億円を支払っているが、一定額(1人当たり300万円)の返還は求めず、支払金額を平準化するため、さらに約19億円を払い、油症に関する支払総額は約105億円としている。

 もはやカネカに法的責任がないとしても、カネカ製PCBや熱変化したダイオキシン類は被害者の体をむしばみ続けている。油症発覚から51年、当時子どもだった患者や2世が中心となりつつある被害者団体は今、カネカとの対立ではなく、対話を望んでいる。

 ◎補足説明

 ■PCB
 ポリ塩化ビフェニール。有機塩素系化合物の一種、米国スワン社が1929年に工業生産を開始。国内では54年から鐘淵化学工業(現カネカ)が製造。熱に強く、水に溶けにくい性質から、変圧器やコンデンサーの絶縁油、船の塗料、感圧複写紙、電化製品など幅広く使われた。三菱モンサント化成(69年~)を含め、72年の製造中止までの国内生産量は5万8787トン、国内使用は約5万4千トン。残留性、生物蓄積・濃縮性が高く人体に強い毒性があり、肝機能障害や免疫機能の低下などを引き起こす恐れがある。環境中で分解が難しく、日本をはじめ地球規模での環境汚染が問題になった。ストックホルム条約で製造や使用の禁止、排出削減に取り組む方針を決定。2028年までに世界で処理を終えることを目指している。それまでは無害化の作業や厳重管理が必要だが紛失や漏出が起きている。日本では01年、特措法施行でPCB廃棄物の処理事業が始まった。

 ■カネカ
 1949年に鐘淵紡績(後の鐘紡)から非繊維事業を分離・独立し鐘淵化学工業として設立。わが国で初めてPCBを開発。54年4月、高砂工業所でPCB「カネクロール」の製造を開始。68年10月にカネミ油症が報じられた後も製造を続け、72年6月、製造中止。2004年カネカに社名変更。PCB製造、販売総量について09年の長崎新聞社の取材に対し「PCBを製造・販売していたのは1954年から72年の期間ですが、すでに製造・販売に関する記録が残っておりません」と回答。カネカホームページによると東京と大阪に本社があり、2018年3月末で資本金330億4600万円、従業員数は連結1万234人、単独3525人。企業理念は「人と、技術の創造的融合により未来を切り拓く価値を共創し、地球環境とゆたかな暮らしに貢献します」。

 ■カネミ倉庫
 本社は北九州市。戦前、創立者の加藤平太郎氏が米ぬか油の工業化に成功。戦後、九州精米をカネミ糧穀工業に社名変更し、三男三之輔氏が社長に就任。国指定倉庫となり1958年、カネミ倉庫に変更した。PCB「カネクロール400」をステンレス製蛇管に循環させ、食用米ぬか油を熱する脱臭手法を採用し61年、装置を購入。68年、PCB汚染の米ぬか油を製造、販売し、同年10月にカネミ油症事件が発覚した。裁判では、カネミ倉庫は米ぬか油へのPCB混入を知っていたか、容易に知ることができる状況にあり、食品製造業者としての注意義務に違反し、過失は明らかとされた。同社の敗訴は確定。認定患者への医療費支給を確実にするためとして、倒産などを除き強制手続きによる損害賠償金などの支払いを求めないことなどを内容とする念書や和解を原告と交わした。2008年提訴の新認定訴訟では裁判所が除斥期間を適用し、カネミ倉庫の勝訴が確定している。

 ■食用米ぬか油の製造工程
 カネミ倉庫は、カネカ製のPCBを購入し、米ぬか油の脱臭工程で使用した。当時、PCBは製造が認められ、幅広い分野で使用されていた。ステンレス製蛇管が内部に設置された巨大な脱臭装置に米ぬか油を満たし、蛇管内に250度まで加熱したPCBを循環させて、間接的に油を熱することで脱臭。この工程でPCBが混入したとされる。

 ■ピンホール説
 高温のPCBを循環させていたステンレス製蛇管に、事件発覚後、小さい穴が複数見つかった。PCBが蛇管を内側から腐食させて穴を開け、流れ出たとみられた。この説だとPCBを製造、販売したカネカの責任も大きくなる。

 ■工作ミス説
 裁判の過程でカネカは、カネミ倉庫が脱臭装置の温度計保護管の間口を広げる工事で蛇管に誤って穴を開けた「工作ミス」が原因だったとの説を主張。この穴から約280キロのPCBが混入し、カネミ倉庫はミスに気付いた後も汚染された大量の油を廃棄せず、正常な油と混合させながら「再脱臭」し点検せず出荷したという。この説だとカネミ倉庫の罪の度合いが格段に高くなる。工作ミスで穴が開いたのは1968年1月。汚染油の販売、消費者の摂取はそれ以降となるが、68年以前から油症の症状があったとする証言から、工作ミスに加え、以前からピンホールによる混入もあったとする見方もある。

巨大なカネミ倉庫脱臭装置。米ぬか油で満たし、ステンレス製蛇管内を高温のPCBが循環して加熱。この過程で蛇管からPCBが油に流出した

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