長崎市幹部の性暴力訴訟 あす初弁論 記者の苦痛、行政責任は 再発防止策の確立求める

 2007年、長崎市で取材中に市幹部から性暴力に遭い、虚偽のうわさの流布など二次被害も受けたなどとして、報道機関の女性記者が市に損害賠償と謝罪文を求めた訴訟の第1回口頭弁論が18日、長崎地裁で開かれる。事件から12年を経て長崎市を提訴した背景には、市幹部が自殺したことや、記者が今も心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんでいるなどの事情がある。被害が市幹部の公務上起こったと判断されるか、また被害の防止や回復を怠った市の責任が認められるかが焦点になりそうだ。

 原告側は、公務員が職務上与えた損害について国や地方自治体の賠償責任を定めた国家賠償法に基づき長崎市を提訴。被害後、週刊誌報道などで記者がこうむった二次被害を防げなかったことや、長年にわたり記者の名誉回復に応じなかったことの責任も問う。

 原告弁護団の中野麻美弁護士は「市幹部は公務中の職務権限を乱用した。また公的問題であるにもかかわらず、市が個人的な問題に矮小(わいしょう)化したことで二次被害に巻き込まれた」と強調する。

 ▽式典関連の取材

 訴状によると、長崎原爆の日を控えた2007年7月下旬の夜、記者は市主催の平和祈念式典関連の取材のため、当時原爆被爆対策部長だった市幹部と会い、市内ホテルで性暴力被害に遭った。当時、同式典前の参院選で全国的に与党大敗が予想されていた。野党から戦後初の参院議長が誕生する可能性があり、そうなると同式典が最初の公務となる。記者は本社の指示で、式典当日の参院議長取材を依頼するため市幹部と夜、会ったという。

 記者は被害後、PTSDの診断を受け、8月中に長崎を離れた。一方、市幹部は10月末に市の内部調査を受けた後、自殺。市の事情聴取には「男と女の関係」などとして性暴力を否定していた。市幹部の死後、別の市職員が、私的な関係があったのではないかなどの虚偽の話を流布。その話に基づく週刊誌報道で、記者への集中的なインターネットでの攻撃が始まった。

 ▽市に日弁連勧告

 記者は市と協議を長年継続。2009年に日弁連に人権救済を申し立てた。日弁連は人権侵害を認め2014年、記者への謝罪と徹底した防止措置を講じるよう市に勧告。しかし、市は加害職員が自殺している以上事実は分からないとして勧告を受け入れず、記者が求める協議にも応じてこなかった。

 今年3月、記者の代理人が田上富久市長を訪問。市の対応に抗議し、年度内の解決を求めた。同月、記者は解決案骨子として、市幹部が地位を利用した人権侵害と二次被害で、記者の健康、職業、行動に制約を加えたと認めることなど3項目を要請する文書を市に送付。市が応じられないと回答したため、4月25日に提訴した。

 ▽記者だからこそ

 性暴力やセクシュアルハラスメント事件の場合、提訴すれば被害者は再び忌まわしい事件と向き合うことになる。誹謗(ひぼう)中傷なども避けられない。それらのリスクを前にして提訴を諦める被害者も多いが、記者は決意し、名誉と心身の健康を損なわれた損害の回復と再発防止策の確立を求める。

 記者は「裁判はつらさもあるが、真実を示し、問題を明らかにできるなら挑戦の価値がある。証拠が残りにくいとされるこの種の事件で、記者だからこそ残せた証拠を示しつつ弁論を行う」、市は「見解は控えたい。裁判で明らかにしていく」としている。

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