服は「ユニクロ」、高級時計は「勇気が出ない」中日笠原“庶民派”として目指す道

中日・笠原祥太郎【写真:荒川祐史】

開幕から開幕投手、不整脈手術、長女誕生と怒涛の2か月送る

 開幕から怒涛の2カ月間を過ごした左腕が、球宴明けの復帰に向け臨戦態勢を整えている。中日の笠原祥太郎投手はプロ3年目で初の開幕投手を任されたものの、その1カ月後に不整脈の治療で離脱。退院した1週間後に第1子の誕生に立ち会った。プロ人生に影響を与えそうな「一大事」を立て続けに経験したことで、あらためて「自分らしさ」を貫く重要性を確認。華やかな世界で「ひっそりと活躍したい」と言うわけは――。

 ドクッドクッドクッ……。一定時間訪れる動悸は、笠原にとって「いつものこと」だった。大学時代から自覚症状があり、プロ入り後も「ほぼ毎試合、何度か起きていました」と言う。4月中旬の試合前も、少し練習の輪から離れて呼吸が収まるのを待っているとトレーナーが駆け寄ってきた。症状を聞かれ、答えると、すぐに検査を受けることになった。当初は危険な不整脈の可能性も疑われ「この先どうしようとは少し考えました」と不安がよぎった。

 セカンドオピニオンも受け、比較的軽い「発作性上室性頻拍」だと判明。体内に管を通し、不整脈を起こす心臓の局所を電流で焼灼する「カテーテルアブレーション治療」を5月中旬に受けた。施術の翌日にはケロリとした表情で入院食を頬張っていたが、口をついて出るのは「もったいない」の言葉ばかり。健康第一とはいえ、先発予定だった4月27日の阪神戦の登板を回避。大型連休を挟んだ手術となり、2週間のブランクが生じた。「『オフにできませんか』って先生に何度聞いたことか」と苦笑する。

 そう言うのも無理はない。ローテの柱として期待されたシーズン。開幕前に同期入団の柳裕也とともに与田剛新監督に呼ばれ「1年間、若い2人で軸になってくれ」と開幕投手を託された。DeNAのエース今永昇太と投げ合い、勝利には導けなかったが5回4安打無失点。その後、4月中旬まで4試合に先発して無傷の2勝、防御率2.75と上々のすべり出しだった。

 もどかしい思いの理由は、もうひとつ。入院中に身の回りの世話をしてくれた妻・菜々美さんのお腹は丸々と膨らんでいた。出産間近の身重の体に心配をかける形になったが、「家と病院の行き来でいい運動になったわ」と笑い飛ばす妻の気立ての良さに助けられた。

「バンバンお金を使うようになると、調子に乗っちゃいそうで…」

 退院した1週間後に、元気な女の子が誕生した。「1軍にいたら出産直後に一緒にいる時間がとれなかったと思うんで」と戦線離脱を前向きに捉えた。ナゴヤ球場での練習後は即帰宅し、沐浴やおむつ替えに精を出す。菜々美さんも「意外といいパパ」と“評価”する。入院中に差し入れでもらった「初めてのパパ教本」を熟読した成果でもあった。

 開幕投手、不整脈の治療、子の誕生……。どれも自らを奮い立たせるにはうってつけの出来事だが、笠原はあえて逆の発想で、こんな時こそ浮き足立ってはいけないと考えた。先発投手として栄えある大役も「オープン戦で調子がよかったからたまたま。だから変なプレッシャー感じずに普通に投げました」とサラリとしたもの。弱肉強食の世界で「ひっそりと活躍したい」と言う。ともすれば勘違いされてしまいそうな言葉だが、そこには確固たる信念がある。

「調子に乗りたくないんです」。成績を残せば年俸が数十倍にもなり、生活も性格も変わってしまう選手もいる。その環境にあぐらをかいていると、あっけなく足元をすくわれる――。だから自らは、いっときの好不調に左右されず、地に足をつけて初心でいたいと律する。

 今季の推定年俸は2100万円だが、金銭感覚に狂いもない。「おしゃれが分からない」と、服はたいていユニクロでまとめ買い。同僚たちが身につける高級時計に憧れるが「まだ勇気がでなくて」。さらには、遠征先の高級ホテルでのクリーニングサービスに二の足を踏み「コインランドリーがあればいいのに」と嘆いた。

 ケチではない。「バンバンお金を使うようになると、調子に乗っちゃいそうで」。そんな“庶民感覚”は、チームでの立場は変わっても全く変わらない。復帰を目指す今は、はやる気持ちを抑え「離脱して肩肘を休めることができた」とプラス思考に。交流戦後の1軍マウンドを見据え、6月14日には実戦形式のシート打撃に登板した。入院中、真っ先にお見舞いに来てくれた柳がすでに7勝と飛び出したが「柳が注目される陰で、しれーっと勝っていきたい」。公私ともに大きな出来事を経た24歳が、「影のエース」を目指して帰ってくる。(小西亮 / Ryo Konishi)

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