読鉄全書 池内紀・松本典久 編 東京書籍【鉄の本棚 23】その12

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またまた凄い人が登場します。世間ではウルトラマン作品の演出で有名な実相寺昭雄監督の「わたしの名車たち(『昭和電車少年』より)」(2000年)

実相寺昭さんは、1937年(昭和12年)東京四谷生まれ、中国青島で育ち敗戦を満州で迎え帰国。大学卒業後外務省に勤務。その後TBS、演出部でテレビ番組を演出。奇抜な演出が多く社内で干されたため映画部に移動、円谷プロに出向して「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の演出で注目されました。TBS退社後は、ATG映画を監督します。生活費はCM演出で稼いでいたそうです。1988年(昭和63年)監督した映画『帝都物語』がヒット。2006年(平成18年)69歳で亡くなりました。

著書『ウルトラマン誕生』(ちくま文庫)を読んだことはありましたが、実相寺監督が鉄道ファンとは知りませんでした。『ウルトラマン誕生』に鉄道への言及があったかもしれませんが10年以上前に読んだ上に当時は鉄道チャンネルとの関係も無かったので覚えていません。

しかし登場する車両が渋すぎます。名鉄(名古屋鉄道)3850系電車、7000系パノラマカー(白井昭氏です!)、5000系、5500系と取り上げられます。東京に住んでいたはずの実相寺さんが名鉄の車両に詳しいのには吃驚。

大学を卒業し就職した嬉しさに5500系に乗りに行った、とありますから、ホントに鉄道車両がお好きだったのでしょう。

さらに流線型という切り口で名鉄の3400系「芋虫」にまで溯ります。3400系は1967年(昭和42年)重整備工事という車体修繕工事が施工され、1988年(昭和63年)に1編成を残して廃車されましたが、残された編成は落成当時の車体塗装に戻され2002年まで運用されました。

7000系以外は知らない車両が並ぶので、ネットで調べながら読み進みました。

後半は「昭和の風景でもあった駅舎よ、踏切よ、永遠なれーー極私的目蒲線物語」が収められています。

東急目蒲線は、東急の母体「目黒蒲田電鉄」が、1923年(大正12年)に目黒〜蒲田間を開業したのが始まりです。この目蒲線が、2000年(平成12年)9月、営団地下鉄南北線・都営地下鉄三田線との相互直通運転開始によって「目黒線」と「東急多摩川線」に分割されました。

実相寺さんは、昭和27年(1948年)に鵜の木に転居しました。50年以上目蒲線に乗ってきたのです。目蒲線分割の直前にこの文章を書いたので、実相寺さんは目蒲線という名称がなくなることを哀しみ、いささか感傷的になっています。

実相寺さんが書いた鵜の木駅の構内踏切は、「東急多摩川線」になって無くなりました。

友人が洗足に住んでいるので以前から目黒駅でJR目蒲線に乗り換えていましたが、最近は何やら営団地下鉄南北線・都営地下鉄三田線との相互直通運転で行き先がややっこしいし、相鉄線がJR東日本湘南新宿ラインなどを経て目黒線日吉駅まで繋がる予定で、そうなれば相互直通運転の範囲も延長されて神奈川と埼玉が直通になるのでしょうか。

便利になることに反対する気は毛頭ありませんが、慣れ親しんだ風景が変化してゆくのはちょっと寂しいなぁ、という按配。この本に収められている文章は、どちらかと言うと変化してゆくことを淋しく感じるものが多いですね。

(写真・記事/住田至朗)