世界を照らす希望の象徴 自由の女神像 − ニューヨーク州 − 世界遺産とは 地球の生成と人類の歴史によって生み出され、未来へと受け継がれるべき人類共通の宝物としてユネスコの世界遺産条約に基づき登録された遺産。1972年のユネスコ総会で条約が採択され、1978年に第1号が選出された。2018年7月現在、167カ国で1092件(文化遺産845件、自然遺産209件、複合遺産38件)が登録されている。

242年前の7月4日、アメリカはイギリスからの独立を表明した。植民地だったアメリカがイギリスからの独立を求めて戦った時、唯一援軍を送ったのがフランスだった。独立宣言から100周年を記念して、1886年に友好の印としてフランスから届いた贈り物が、今や世界の誰もが知る「自由の女神像」だ。この女神像は国ではなく、フランスの市民たちが資金を集めて建造した、まさに信頼の証と言えるだろう。

自由のシンボルであり、ヨーロッパから来た移民たちを導く灯台の役割も果たした「自由の女神像」©︎NPS Photos

ニューヨークはマンハッタンから約2マイル離れたリバティ島に立つ女神像の正式名称は、“Liberty Enlightening the World”(世界を照らす自由)。右手には自由を象徴する松明を掲げ、左手には独立記念日である1776年7月4日が記された銘板を抱えている。女神の足に踏みつけられているのは、弾圧や暴力からの解放を意味する壊れた鎖。さらに、頭には7つの大陸を象徴する突起が7つ付いた冠を被っている。

足元から頭までの高さはおよそ111フィート。松明の先端まで入れると、約151フィートにもなる。重量は225トン。フランスからアメリカへの輸送時は350ものピースに分解され、214箱に梱包して運ばれたという。

設計と建築を手がけたのは、フランスの彫刻家であるフレデリック・バルトルディと、同じくフランス人の技師ギュスターヴ・エッフェルだ。鉄の骨組みをベースに、無数に分かれた銅板のピースを張り合わせてできた女神像。この巨大な像を支える複雑で緻密な構造は、工学や建築、アート分野の未来を切り開く先駆けとなった。アートと工学を掛け合わせた、今までにない新たな手法による19世紀の建築技術の傑作であると評価され、1984年に世界文化遺産に登録された。

リバティ島へは、マンハッタンとニュージャージー州の2カ所からアクセスできる。20分ほどフェリーに揺られていると、だんだんと距離が近づくにつれて迫りくる女神像の巨大さに圧倒されるだろう。自由の女神といえば、エメラルドグリーンの像だ。しかし、実はフランスから贈られた当初、この銅像は赤茶色だった。胴の性質上、徐々に酸化して今のような色になったという。

台座内部に展示されている、初代の松明。電気が通り、明かりがつくようになっていた ©︎NPS Photos

女神像は、頭の上の冠部分まで上ることができる。リバティ島に着いたら、まずは像を支える台座の内部へ。ロビーに飾られているのは、女神が掲げていた初期の松明。現在手に持っている松明は、1986年に置き換えられたものだ。館内には、女神像の立案から現在に至るまでの歴史を学べる資料が展示されている。ここから冠までは、頭上高く続く377段の螺旋階段を上って行く。薄暗い階段を上りきると、外の光が差し込む冠の内側に到着。冠部分は窓になっており、マンハッタンやブルックリンなど、周囲の景色が女神と同じ目線で一望できる。

館内にはレンジャーがおり、自由の女神の歴史や豆知識などを教えてくれる。女神像の観光は人気が高いので、事前にチケットを予約しておくのがおすすめだ。

**遺産プロフィール
自由の女神像
Statue of Liberty **
登録年 1984年
遺産種別 世界文化遺産
https://www.nps.gov/stli/index.htm

ライタープロフィール
齋藤春菜 (Haruna Saito)
物流会社で営業職、出版社で旅行雑誌の編集職を経て渡米。思い立ったら国内外を問わずふらりと旅に出ては、その地の文化や人々、景色を写真に収めて歩く。世界遺産検定1級所持。

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