手塚聡 ‐ 悲願に挑んだ那須の暴れん坊の重戦車ドリブル

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1987年10月26日ソウルオリンピックアジア地区最終予選中国戦に出場した手塚聡選手

この写真は、1987年(昭和62年)10月26日、国立競技場で行われたソウルオリンピックアジア地区最終予選の最終戦、中国戦にフル出場した手塚聡選手です。

日本サッカー界にとって因縁の10月26日

この日は冷たい雨が降るなか、国立競技場は満員でした。1977年(昭和52年)9月14日ペレの引退試合(ペレ・サヨナラ・ゲーム・イン・ジャパン)のあとで、あんなにサッカーでお客さんが入った試合は、1985年(昭和60年)10月26日のFIFAワールドカップメキシコ大会アジア地区最終予選の日韓戦と、この日の試合しかなかったんじゃないかな。「立錐の余地もない」とはこのことだと、スタンドを見て思いました。

残念ながらこの試合の前、10月4日に広州で行われたアウェーの第1戦には取材に行けませんでした。中国に圧倒的に試合を支配されて、何本ものシュートを打たれながらも、少ないチャンスを生かして、前半21分の原博実選手(三菱重工)のゴールを守り切って1対0で勝利した。

20年ぶりのオリンピック出場の悲願

1987年10月ソウルオリンピック最終予選中国戦のスターティングメンバー

このソウルオリンピック最終予選に挑んだ日本代表は、タイ、ネパール、中国を相手にして、ここまで4勝1分、得点16失点0でこの中国との最終戦を迎えました。あの日韓戦のあとに森孝慈監督から日本代表を引き継いだ石井義信監督は、守備を重視した戦術をとって、接戦をものにして勝ち上がってきました。予選当初はあまり期待はしていなかったけれど、あれよあれよで中国との最終戦まで無敗で勝ち進んできた。1次予選(インドネシアとシンガポール)と最終予選を含めた9試合の失点は、インドネシアとのアウェー戦で奪われた1点だけだった。

このホームの中国戦は、引き分けでもオリンピック出場が決まる試合だった。1968年メキシコオリンピックで銅メダルを獲得して以来、日本サッカー界の悲願が20年ぶりに達成される瞬間がまさに目の前にあったわけです。だけど、最後の最後に落とし穴があった。ベンチスタッフも選手たちも本当に予選突破ができると思っていたかどうか……。

1987年10月26日中国戦でゴールを決められず悔しい表情を見せる手塚聡選手

試合当日、国立競技場のピッチの状態は雨で良くなくて、試合中に手塚選手の前に出たボールが横にビッと弾んだシーンがあった。もしボールが弾まないで、手塚選手がそのままボールをかっさらって、ゴール前に突っ走っていけば、日本が先制か!って場面だった。もしホームで先制していたら、得意の守備的戦術でゴールをガッチリ守り切って、ソウルオリンピックに出場できたかもしれない。その「勝ち点1」が奪えなかったばっかりに、それからまた何年も足踏みをしてしまった。その時のそのシーンは、本当にかわいそうだった。

当時は芝生の状態が今ほど良くないのに加えて、ちょうどあのくらいのところに投てき競技のハンマーとかやりとかが飛んできた跡が残っていたりもして、パスがイレギュラーしたり、芝に足を取られたりとやり難いところもあったかもしれない。でも国立競技場ですらそんな状態だったから、そんなこと言ったってしょうがないんだけど。

1985年の日韓戦で日本代表の司令塔だった木村和司選手(日産自動車)は招集されなくて、ベルダーブレーメンから古河電工に復帰した奥寺康彦選手が9年ぶりに日本代表に戻ってきていた。その奥寺選手と都並敏史選手(読売クラブ)、それに水沼貴史選手(日産自動車)と西村昭宏選手(ヤンマー)が中盤にいて、原選手と手塚選手の2トップ。奥寺、都並両選手へ捌いて、原選手にセンタリングを当てて、もし一発で決まらなかったら、手塚選手にこぼれ球をなんとかしてもらう、みたいなサッカーだったかもしれない。だからある意味、手塚選手には「自分の突破力だけでなんとかしてくれ」ってところもあったと思います。

1987年4月8日ソウルオリンピック予選インドネシア戦に出場した手塚聡選手

でも、元々のコンセプトが守備重視の戦術だったことに加えて、ひとりでどうにかできるようなサッカーじゃなかった。コンビネーションとかいっても本当に難しい時代でしたから、代表選手たちのスキルやテクニックが他のアジア諸国と比較して飛び抜けて高かったか?といったら、そんなこともなかったわけです。アジアのレベルだから、似たり寄ったりではあったんだけど、それでも中国や韓国は、日本代表にとってひとりでなんとかできるような相手ではもちろんなかった。

中国に2点差をつけられ……

37分に中国に先制され、石井監督は70分に中盤の西村昭宏選手に代えて、早稲田大学の松山吉之選手を投入。国際Aマッチ出場8試合で4得点の若い松山選手の機動力と得点力に掛けたんだと思います。だけど、ピッチ状態が悪くてあまり効果的な交代にはならず、82分に中国に追加点を奪われて0対2になってしまった。

少ない残り時間の中で、勝ち点1を取るためには2点を取り返さないといけない状況の中、ベンチには長身でJSL得点王の松浦敏夫選手(日本鋼管)がいたけど、松山選手投入後は選手交代のカードを切ることはなかった。どうしてだろう……と采配には謎が残った試合だったんだけど、もしかしたら石井監督もコーチたちも、もう頭の中は真っ白だったんだろうと思うんです。この試合の結果を受けて石井さんは代表監督も退任されましたが、この試合のことはたぶんずっと悩んでいたんじゃないでしょうか。

1987年4月8日ソウルオリンピック予選インドネシア戦に出場した手塚聡選手

もし勝ち点1が取れていたら……

でも、もしこの試合で手塚選手のゴールが決まって、もし「勝ち点1」が取れていたら、間違いなくこの瞬間から時代は変わっていたよね。アトランタオリンピックやジョホールバルの戦いのあとのように、とんでもなく脚光を浴びていた可能性もあったわけです。そう考えるとこの試合まで結果を出してきたこの原=手塚の2トップっていうのは相手にとって脅威的な存在でした。森孝慈さんの時代と違って、「面白くないサッカー」とか言われながらも、まずはガッチリ守備を固めて失点しないサッカーをしようと、この試合までは実際に結果も出してきて、さあここで負けさえしなければ、日本のサッカーも再び世界のヒノキ舞台へ!っていう日だった。

だからこの試合で「勝ち点1」を手にすることができたら、日本のサッカーも別の歴史を歩んでいたかもしれない。手堅くゴール前をがっちり固めて、カウンターで少ないチャンスを生かして、しぶとく1対0で勝ち切るようなサッカー。オフェンスに関しては、ヘディングの強い長身のフォワードと、ボールを拾いまくる運動量があって馬力のあるフォワードを据えてゴールを狙う。そんなサッカーが日本の主流になっていたかもしれない。

でも、この試合は夢を見させてもらいました。石井さんには何度もお会いする機会はあったけど、この試合のことは聞けずじまいだった。晩年はFC東京のアドバイザーを務めておられましたが、この4月にお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈りいたします。

重戦車のようなパワーで前へ

1987年4月8日ソウルオリンピック予選インドネシア戦に出場した手塚聡選手

手塚さんは、木村和司さんのようなパスを供給してくれる選手がいない中で、もう孤軍奮闘するしかなかった。厳しい状況ではあったけど、もし「勝ち点1」に結び付くゴールを決めることができて、ソウルオリンピック出場を決めていたら……そう考えると、スーパースターになっていたかもしれない日本代表選手のひとりともいえるわけです。

点取り屋と言えば、ずっと釜本邦茂選手が君臨していて、釜本引退の後、日本代表で頼りになる点取り屋が不在になって、釜本に追いつき追い越す選手が現れなかった。そんな中で、釜本さんとはスタイルは違うけど、手塚選手はかなり期待されていたんです。石井監督もフジタで直接指導をしていたから、自分の中では信頼していたんでしょう。だけどフジタで活躍していたようには日本代表では点は取れなかった。

決して華麗じゃないんだけど、手塚選手にボールが渡ると何かやってくれそうな期待感は常にあった。性格もすごくまじめで一本気なんです。いい意味で純粋なフットボーラーだった。ディフェンダーに引っ張られても、相手を引きずってでも前に前に行くっていう重戦車のようなパワーがあった。彼の突破力というか、前にボールを運ぶ圧倒的な推進力は、当時のレベルからするとケタ違いだった。那須の暴れん坊って言われていたけど、性格はわりとおとなしくて、オレがオレがってタイプじゃないから、暴れん坊って表現があっていたかどうか……。

現在は中央大学サッカー部監督として活躍

1987年4月12日ソウルオリンピック予選シンガポール戦に出場した手塚聡選手

いやしかし、こうやってあらためて見ると、すごい脚だ。本当に走りこんでいたんだ。飛び抜けた馬力が持ち味の選手だった。もうちょっといいパスが来れば、彼の良さがもっともっと生きたに違いない。だけど、ないものねだりをしてもしょうがない時代だったから、仕方のないことなんだけど。

手塚さんは、古巣がフジタ、ベルマーレ平塚、湘南ベルマーレと変遷する中で、指導者としてクラブを支えてきました。その後、水戸ホーリーホックでコーチ、ザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)、ファジアーノ岡山、福島FCで監督を務めて、現在は母校の中央大学学友会サッカー部監督として今もご活躍されています。現在、中央大学は関東大学サッカーリーグ戦2部で首位だから、来期はきっと1部に復帰してくれると思います。

提供:スタジオ・アウパ