「十」を欠けば

 十分、十全と言うように「十」には「多くのものを寄せ集め、まとまっているさま」の意味がある。十人なら十人が「口」にする訴えも、まとまってこそ「叶(かな)う」ものだろう▲足並みは十分そろっていたとみる向きは、与党はおろか、当の野党にもおそらくない。立憲民主など野党5党はきのう、安倍内閣に「即刻退陣」を強く求め、内閣不信任決議案を衆院に共同で提出した。年金などへの対応が無責任だ、と▲反対多数で否決されたが、そもそも「退陣」を叶えたいどころか、野党には「不信任案を大義にして、首相が衆院解散に踏み切ったらどうする」と恐れる声も強かった▲政権と正面切ってにらみ合う。そんな姿を国民に見せたかったのに、首相に解散権を振るわせ、衆参同日選にでもなったら困るじゃないか、と及び腰を見せてしまった。皮肉に思える▲では、与党はしたり顔でいられるか。老後資金を巡る金融庁の審議会の報告書をきっかけに年金不安は高まっていて、報告書の受け取りを麻生太郎金融担当相が拒んだのを、国民の7割が「問題」としている▲不信任案の否決で、年金不安も麻生氏の行いも帳消しになったわけではない。示すべきは老後の安心という果実だろう。「果」を得ようにも、十分な説明の「十」を欠けば、呆(あき)れるの「呆」しか残らない。(徹)

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