「ダルちゃんは自分だ」 引きこもりの人への共感

By 佐々木央

はるな檸檬『ダルちゃん』1・2

 『ダルちゃん』という漫画が話題になっている。資生堂の「ウェブ花椿」に連載され、全2巻の単行本として小学館から刊行された。

 主人公は丸山成美。24歳の派遣社員だが、正体はダルダル星人「ダルちゃん」。ぶよぶよの不定型な姿だ。

 ばれないように、朝はシャワーを浴び、ドライヤーで髪を乾かし、とても苦手なストッキングに、本当は嫌なハイヒールをはき、24歳の「ハケンシャイン・マルヤマナルミ」に擬態する。最近、メイクも覚えた。この社会と無理やり折り合いを付けている。

 ダルちゃんは同僚の男性に傷つけられ、でもそれをきっかけに初めて友達ができる。恋をして別れ、詩という自己表現の手段を獲得する。一人の女性の成長物語が、ハッピーエンドに回収される。

 ▽誰もが抱える「ダルさ」

 その読後感の良さも支持された理由だと思うが、それ以上に設定そのものが共感を呼んだのではないか。「あ、ダルちゃんは自分だ」と。わたしもそう。きょう、出社するのが面倒だった。

 子どもなら入学や進級、転校といった場面で、新しい環境に投げ込まれるとき、大きな不安を感じる。大人でも就職や転職、異動のときには、強いストレスがかかる。適応できず、登校しない子ども、出社を拒否する人も出てくる。

 ようやくなじんでも、学校や会社に行きたくないという朝はある。パワハラ的な交渉相手とタフなやりとりをしなければならないとか、3限に苦手な授業があるとか、友達や同僚との関係がうまくいっていないとか…。いや、自分でもはっきり理由は分からないけれど、なんとなく苦しい。体が重い。

 誰もが心のうちに弱さを―いや「弱さ」という烙印(らくいん)を押してはならないだろう、この作品でいえば「ダルさ」を―抱えている。

 川崎市で5月28日、小学生ら20人が殺傷され、51歳の容疑者が自殺した。4日後、東京都練馬区で76歳の元農林水産事務次官が、44歳の長男を「周囲に迷惑を掛けるといけない」と刺殺した。どちらも「引きこもり」がキーワードとされた。高齢の親と引きこもりを続ける中年の子どもが苦境に陥る「8050問題」にも注目が集まっている。

 しかし、自らを振り返れば、引きこもりが決して人ごとではないことが分かる。

 ▽弱さ抑圧する社会

 2000年5月に起きた西鉄高速バスジャック事件を覚えているだろうか。加害少年は当時17歳、学校でひどいいじめに遭って引きこもり、逃げ込んだネット社会でも排斥されていた。

 事件で重傷を負った佐賀市の山口由美子さんはその後、仲間とともに、不登校の子どもたちの居場所「ハッピービバーク」をつくった。事件のときの加害少年の表情が、中学で不登校を続けた自分の娘の顔に重なって見えたからだ。

 2年半ほど前の秋の一日、わたしはその「ハッピービバーク」を訪ねた。小学生や若者20人ぐらいが、ゲームをしたり、ホットケーキを作って食べたりしていた。夕方、スタッフが「そろそろ片付けよう」と声を掛けるまで、時を忘れて楽しんでいた。みんな明るかった。

 不登校や引きこもりという言葉に対する先入観が覆された。学校に行くことを当然とする日本社会で、学校に行かない、行けないという子どもは苦しい。「でもここは、その子のあり方を大切にする『居場所』です」。山口さんはそう話した。

 いま社会は「引きこもり」というカテゴリーを作り、学校や職場に出て来られない人たちをそこに放り込み、その家族にも「引きこもりの家族」というレッテルを貼る。

 それらのカテゴリーを「社会問題」とみなし、国や自治体、NPOが「対策」や「支援」を用意する。引きこもりの状態から無理やり引き出す悪徳業者まではびこる。

 しかし本当は、彼らが学校や社会を拒否しているのではなくて、わたしたちが彼らを抑圧し、排除しているのではないか。そして、自らの心のうちにある「ダルちゃん」をも、自らの「弱さ」として押しつぶそうとしているのではないか。

 引きこもりの人たちに対する心からの共感と想像力こそが、出発点にあるべきだと思う。
(47ニュース編集部・共同通信編集委員佐々木央)

関連記事:子どものいま未来「ハッピービバーク」

© 一般社団法人共同通信社