メクル第378号 ちんどん屋・河内隆太郎さん 努力すれば成功できる

「全日本チンドンコンクール」で2年連続4度目の優勝を果たした「かわち家」の河内さん(中央)ら=富山市、富山県民会館

 華(はな)やかな衣装(いしょう)とにぎやかな音色で町中を練り歩き、お店や商品を紹介(しょうかい)したり、イベント会場を盛(も)り上げたりする「ちんどん屋」。県内にも一つだけ、「かわち家」という団体(だんたい)があります。4月には、富山(とやま)市であった「全日本チンドンコンクール」で2年連続4度目の優勝(ゆうしょう)を飾(かざ)りました。代表の河内( かわち )隆太郎(りゅうたろう)さん(48)に、これまでの歩みや仕事への思いを聞きました。

 高校生のころの目標は「小学校の先生」。1年浪人(ろうにん)して長崎大教育学部に入学しました。4年生の夏、教員採用(さいよう)試験に落ち、ふと頭に浮(う)かんだ職業(しょくぎょう)が「ちんどん屋」でした。どんな仕事なのかほとんど知らないのに「やりたいことが見つかった」と思いました。
 親の反対を押(お)し切り、北九州市にあったアマチュアのちんどん屋に入門。1年間、アルバイトをしながら経験(けいけん)を重ねた後、東京のプロのちんどん屋に弟子入りしました。でも、楽器が弾(ひ)けなかったので出番が少なく、クラリネットを猛(もう)練習しました。
 ちんどん屋は、派手(はで)な衣装で「チンチン、ドンドン」と太鼓(たいこ)やかねを鳴らしながら街頭を歩く「街頭宣伝(せんでん)パフォーマー」。終戦後は全国に5千人から1万人くらいいたそうですが、今では100人くらいしかいません。東京では3年半にわたって話芸や演技(えんぎ)を磨(みが)き、富山市であった全国のプロのちんどん屋のコンクール「全日本チンドンコンクール」に、親方とともに出場して優勝。その後、長崎に戻(もど)って、かわち家を立ち上げました。

メッセージと「ちんどん屋日本一」の優勝旗を手にする河内さん=西彼杵郡時津町の「かわち家」事務所

 当初、仕事の依頼(いらい)は少なかったものの「宣伝効果(せんでんこうか)を出す」「求められたにぎわいを出す」ことにこだわり、少しずつ有名になりました。すし店などから依頼を受けて宣伝したり、結婚披露宴(けっこんひろうえん)で「祝い餅(もち)つき芸」を披露したり。自分たちで公演(こうえん)もするし、老人ホームにも出かけます。今では年間200回以上。仕事が楽しくて楽しくて。
 「いつでも遊びに行けるような人間関係を築(きず)こう」と心がけてきたせいか、振(ふ)り返るとアルバイト先の店主やちんどん屋の親方など多くの人に支(ささ)えてもらい、そのおかげで今の自分がいます。
 人生には、進学や就職(しゅうしょく)、転職などさまざまな節目があります。仮(かり)に受験で失敗し、希望していなかった道に進んだとしても、そこには大切な出会いがあり、努力すれば成功が待っています。だから「進んだ道が大正解(せいかい)」と言えるんです。それと、「思い切って挑戦(ちょうせん)した人にだけ訪(おとず)れるラッキーがある」と思っています。

 【プロフィル】河内 隆太郎(かわち・りゅうたろう) 1971年5月21日生まれ。西彼杵(にしそのぎ)郡長与(ながよ)町出身。県立長崎北陽台高-長崎大教育学部。95年、北九州市のアマチュアちんどん屋に入門。96年、東京・浅草のプロのちんどん屋に弟子入りする。2000年、長崎市で「かわち家」を開業。お店や商品の宣伝(せんでん)活動のほか、テレビやCMにも出演(しゅつえん)している。著書(ちょしょ)に自伝本「チンドン大冒険(ぼうけん)」。

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