【独逸徇行記⑥】彼らから問われたもの

今朝訪問したのは、聖フランシスコホスピス。
もともと信者から寄進された住宅から始まったドイツで二番目に古いホスピスは、美しく現代的な建築に生まれ変わっていた。

ここには1994年、日本からの視察団が訪れた。それを伝える当時の新聞には「日本では死がタブー」という見出しが。
現在はいかがですか?と理事長のノーベルト・ホーマン氏から尋ねられた。

日本でホスピスというと「人生の最期を過ごすホーム」をイメージする人が多いと思う。

しかし、入所はホスピスの一つの機能に過ぎない。その人にとっての最善の人生の質を支援するのがホスピスの目的。だから、まずは在宅療養を支援する。
そして、どうしても在宅で過ごすことができない人だけが入所を選択する。入所しても状況が安定したら、自宅に戻る。

専門職とボランティア、そして宗教家も連携しながら、その人の人生をまるごと包み込む。そんなイメージだ。

ここも多くのボランティアに支えられ、入所型ホスピスの他、在宅ケアの支援を行なっている。訪問サービスの他、デイケアも準備中だという。

 

今回の視察で一番強く感じたのは「ドイツの人生の最終段階は豊かな社会資源に支えられている」ということ。

ドイツでは在宅で緩和ケアを受けられることは国民の権利とされている。
さまざまなサービスの請求権が認められ、しかも緩和ケアに関わるものは全て無料だ。

ドイツ国民の多くが自宅で最期まで過ごすことを望み、政策も在宅療養を前提に立案される。
緩和ケア医の養成や在宅緩和ケアサービスの提供体制など、明確な配置基準に基づいて十分な財政措置の下に進められている。そして、社会心理的苦痛やスピリチュアルペインを含め、高度な在宅緩和ケアニーズにも対応できる仕組みがある。

もし、在宅での対応が難しくなった場合には、ホスピスまたは緩和ケア病棟にスムーズに入院できる。
いずれも小規模で心地よい環境。入所者は「ゲスト」と呼ばれ、医療よりも生活の継続を意識した建築と運営が行われている。
また、いずれも訪問サービスを併設し、在宅療養支援、在宅復帰支援を行なっている。

そして、多くの一般病院にも全科横断型の緩和ケアチームが配置されている。病院で治療を受けている患者さんも、苦痛が放置されることはない。

さらに、在宅でも、ホスピスでも、病院でも、医療保険・介護保険でカバーできないニーズには、教育を受けたボランティアがフレキシブルに対応してくれる。

漏れのない在宅緩和ケアのセイフティネットだ。

日本でも国民の多くは人生の最終段階を在宅で過ごすことを希望している。高齢化率はドイツよりも高く、在宅医療・在宅緩和ケアの普及は喫緊の課題だ。

しかし、診療報酬による誘導がある程度で、明確な基準や目標が示されるわけではない。
在宅医療機関は質・量ともにばらつきが目立つ。十分な緩和ケアの知識やスキルを持たない在宅医も多く、在宅緩和ケア充実診療所の指定を受けているのは、在宅療養支援診療所のうち10%程度に過ぎない。
在宅医療に対応できないかかりつけ医が多く、在宅療養支援診療所のない基礎自治体もまだある。
「住み慣れた地域で最期まで」はまだまだ絵に描いた餅、という地域は少なくない。

では病院や施設で十分に対応できているのか、といえばそうでもない。
緩和ケア病棟自体が少なく、ドイツの緩和ケア病棟のように地域へのアウトリーチしているチームは、僕の知る限りほとんどない。
一般病院では、医師の多くは緩和ケアに対応できないか無関心、十分な苦痛の緩和が行われていない患者さんもまだまだ多い。
一部の高齢者施設やホームホスピスは頑張っている。しかし報酬面の評価は不十分で、誰もが利用できるインフラとは言いがたい。

そして、緩和ケアには費用がかかる。特に若い世代は介護保険が使えず、医療保険も自己負担割合が高く、社会的苦痛の一因となっている。

在宅緩和ケアの充実を基軸とした人生の最終段階の支援体制づくりは、国民の幸せを守るための重要な前提条件の一つだ。プロフェッショナルオートノミーや経済原理に依存せず、しっかりとした政策目標を立てて、体制構築を強力に進めていくべきだと思う。

 

苦痛のない人生の最終段階を受ける権利。
それを守るための政策と財源。
その根拠の一つとなる「ホスピス・緩和ケア法」は、実は市民や医療者の運動によって勝ち取られたものだ。
僕たちも、与えられるのをただ待っているだけではダメなのかもしれない。

ホーマンさんはプレゼンの最後に、「財源が厳しい。しかし、現在、さらに法改正が進められておりそれに期待している。
しかし、同時に医療保険だけに依存しない運営体制を目指している」とも語った。新しい事業計画についても教えてくれた。

佐々木 淳

医療法人社団 悠翔会 理事長・診療部長 1998年筑波大学卒業後、三井記念病院に勤務。2003年東京大学大学院医学系研究科博士課程入学。東京大学医学部附属病院消化器内科、医療法人社団 哲仁会 井口病院 副院長、金町中央透析センター長等を経て、2006年MRCビルクリニックを設立。2008年東京大学大学院医学系研究科博士課程を中退、医療法人社団 悠翔会 理事長に就任し、24時間対応の在宅総合診療を展開している。

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