苦闘の挑戦、アフリカとの懸け橋に

亡き息子が縁、ザンビア移籍の中町選手

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ザンビアの強豪クラブ、ZESCOの中町公祐選手(前列右から2人目)とチームメート(Pass on提供)

 恵まれた環境や待遇を度外視し、あえて過酷な挑戦を選んだプロサッカー選手がいる。昨季までJ1横浜MでボランチとしてプレーしたMF中町公祐選手(33)。2年の契約延長オファーを断り、アフリカ南部のザンビアの強豪クラブ、ZESCOへの移籍を決断した。「財布事情で考えたら日本に残る選択肢が一番だった」。年俸は10分の1ほどに。このほど一時帰国した際に周囲も驚く挑戦の理由を聞くと、考えあぐねて導き出した答えに「プロサッカー選手として自分はどんな足跡を残せたのか。新たな道を切り開きたい」という強い思いがあった。

 横浜Mでは、選手会長やJリーグ選手会副会長も歴任。現地では「試合後のシャワーもなく、着替えもバスの中」と苦笑いするが、2年契約で来季もザンビアで異色の挑戦を続ける覚悟だ。「現役でプレーすることで日本人の目をアフリカに、アフリカ人の目を日本に向けたい」とスポーツを通じて日本とアフリカの「懸け橋」になる夢を描く。(共同通信=田村崇仁)

 ▽転機はNPO活動

 中町選手は2013年から慶応大時代の友人が設立したNPO法人を通じ、アフリカの子どもたちに教育支援の一環でサッカーボールを送る活動をしてきた。ところが15年、自身の長男を生後43時間で亡くす悲運を経験。受け止めきれない現実の中で、アフリカ諸国の医療水準の低さにも関心を持つようになったという。

 昨年6月、ワールドカップ(W杯)ロシア大会のJリーグ中断期間を使い、アフリカのガーナを初訪問。これが一つの転機になった。友人が整備に尽力した学校に併設されたグラウンドには、生まれてすぐに亡くなった中町選手の息子、彪護(ひゅうご)君の名前をつけてくれていた小さな「ヒュウゴ・スタジアム」があった。

 豪華さとは無縁の手作り感覚の環境でも自分たちが贈ったボールを使い、靴も履いていない子どもたちが笑顔を輝かせてプレーする姿に胸が熱くなったという。「プロ選手として、父親として自分の生き方、生きざまって何か。日本とアフリカをつなぐことができないか。息子の存在はそんな思いにさせてくれた。何かつながっている」と胸中を語った。

2018年6月、ガーナの「ヒュウゴ・スタジアム」を訪れ、子どもたちと記念撮影する中町公祐選手(上段中央)(Pass on提供)

 ▽移籍はドタバタ

 ザンビアは銅の産地として知られるが、日本でも観光で行ったことがある人は少ないだろう。予想はしていたとはいえ、代理人も存在せず、移籍交渉はドタバタの連続だった。最初はジンバブエに行ったが「ガソリンスタンド48時間待ち、スーパーはおつりがない」という厳しい経済状況で断念。自ら現地交渉に臨み、見つけたのが政治的に比較的安定したザンビアだった。それでも約束を平気ですっぽかされ、金額交渉やビザの手続き、銀行口座の開設などでも苦闘の連続。移籍期限ぎりぎりの1月末に契約にこぎ着けた。

 2人の娘もまだ小さく、家族を日本に残して覚悟を決めた移籍。チームの監督は教育者的な人物で練習量も日本の2~3倍という厳しさだ。アフリカ特有の戦術的な部分で考えを合わせるのは大変なようだが、中盤の守備的なポジションを争う2人は190センチ台の大型選手でレベルは高いという。

 公式戦の日程変更や片道7時間のバス移動は日常茶飯事。ピッチもでこぼこと環境は激変したが「後悔はない。マジできついなと思ったことはあるが、本気で帰りたいと思ったこともない」と言い切る。「こっちのスタイルに慣れちゃって、真新しかったことが日常になった」と笑い飛ばす。

ザンビアの強豪クラブ、ZESCOでプレーする中町公祐選手(Pass on提供)

 ▽アフリカ開発会議も

 移籍と並行してボールを届ける活動に加え、自身の経験を通してアフリカの医療機関も支援するNPO法人「Pass on」を設立。3月、日本サッカー協会から国際委員にも選任された。在アフリカ、現役選手の委員は初めてだ。8月に横浜市で開かれるアフリカ開発会議(TICAD)への協力にも前向きに取り組む。

 「自分をきっかけとし、ボランティアに興味を持つ人が増えたり、ビジネスチャンスがアフリカで広がったりすればうれしい。アフリカに外から支援するだけでなく、アフリカに来て人生を懸けてサッカーしている。そこはみんなに受け入れてもらったかな」。新天地でプロとしての誇りを胸に、飛躍を期すその目は輝いている。

チーターと記念写真に納まる中町公祐選手(Pass on提供)

 中町 公祐(なかまち・こうすけ)群馬・高崎高から2004年にJ2湘南入り。08年からは慶応大でプレー。卒業後の10年にJ2福岡に入団し、12年から横浜Mでプレー。J1通算183試合15得点。174センチ、74キロ。埼玉県出身。33歳。