読鉄全書 池内紀・松本典久 編 東京書籍【鉄の本棚 23】その31

藤原新也「菜の花電車」(2003年)

藤原新也さんと言えば『印度放浪』(1972年)ですが、ご自身が門司港出身なので平成筑豊鉄道のことを書いています。というか高校の同級生の話。作文で不思議な短編小説を書いたN君と親しくなった藤原さんが、23年ぶりに郷里に帰ってN君を探して再会しました。

残念ながら友人は凋落する炭鉱町の唯一残ったキャバレーの支配人で、藤原さんとの再会を喜ぶ様子はありませんでした。

Nが肺炎で亡くなったと聞いたのは四年後のことである。
その年の正月、筑豊の病院から出版社経由で一通の年賀状が届いた。Nからだった。Nは私がどのような仕事をしているか知っていたらしい。経由先の出版社は当時『少年の港』という門司港をテーマとした写文集を出版したところだった。
年賀状には、その時は邪険にあしらいすまなかった、という簡単な言葉がしたためられていた。
自分は、お前の立場と俺の立場のあまりにも大きな隔たりを恥じ、一刻も早く君の前から消えたかったのだ、と。
私がその年賀状を読んだのは旅から帰った二ヶ月後のことであり、病院に電話を入れた時にはすでに彼は他界していた。本書 p.463-464

そして藤原さんは17年ぶりにかつての国鉄田川線、現在の平成筑豊鉄道田川線で田川伊田を訪ねました。

田川伊田に着くと私は町を散策したのだが、かつて栄えた炭鉱町の賑わいの名残をわずかに残した十七年前の町の面影さえなく、町は時間が止まっており、Nの勤めていたキャバレーも壊されて空き地になっていた。本書 p.464

そして藤原氏は伊田線に乗って線路際に咲く菜の花を見つけてシャッターを押します。

まるで天国からの贈りものみたいじゃないか・・・・・。
ふと、そう思った。
黄色い輝きは、瞬く間にすれ違い、過去の方に向かって走る。本書 p.465

本書 p.466-467 藤原新也さんの写真

石川啄木の短歌を思い出してしまいます。

友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ

16歳の時の友人と40歳で再会するというのは、誰にとっても些かヘヴィな時間になるのでしょうか。

今夜は七夕。願い事を笹に結んで、夜空を見ながら一献しませう。

(写真・記事/住田至朗)

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